米Appleが2014年に、哲学者であるジョシュア・コーエンをフルタイムで雇用したことは、当時はあまり話題にならなかった。実際には2011年から兼任であり、フルタイムになったのが2014年である。同様に米Googleも2011年に、エンジニア兼務ではあるが企業内哲学者としてデーモン・ホロウィッツを雇用している。
巨大テック企業ともなれば、開発規模や製品・サービスが与える影響は、大げさではなく人類全体に及ぶ。ということは当然、その方向性や影響を考えるためには、宗教や政治を超えたフィロソフィカルな思考が必要になるだろう。そもそも哲学者は、古代ギリシャの時代から王の助言者として雇用されたという記録があり、雇用可能な職業ではあるのだ。
企業にフルタイムで雇用される哲学者を、「企業内哲学者」と呼ぶ。日本においても、昨年あたりからフルタイムではないが少しずつ社内に哲学者を入れるという企業が出てきている。
哲学者は、基本的に何かを生産するわけではない。また専門知識を数多く有しているというわけでもない。なぜ今、テック企業を中心に「企業内哲学」が熱くなっているのだろうか。
企業においては、哲学が必要なタイミングというのがいくつかあるはずだ。一つは、企業理念と呼べるようなものを考えるときである。
企業理念とは、通常は会社を立ち上げる時に必要なものであり、その会社の発展の方向性を決めるものである。どこに手を出すか、あるいはどこに手を出さないかを少ない文言で言い表すもの、と言えるかもしれない。
また企業では、企業理念にはなかった社会貢献が求められることがある。例えばSDGsは、2015年に国連サミットで採択された国際目標であり、それ以前はなかったものだ。もちろん大企業の中には、ISO1万4001への対応として早くから環境問題に取り組んできたところもあるだろう。だがISO1万4001が世の中にそれほど知られていないことからもわかるように、広く浸透していたわけではない。
SDGsの取り組みは多岐にわたるが、例えばプラスチック梱包を紙に変えたら、紙を作るために余計森林が伐採されるではないかとか、電力はソーラーパネルを活用すると、ソーラーパネルを作るのに余計に電力がかかってCO2を排出するではないかとか、どこかで逆向きの指摘が起こる。
実際こうした指摘は、一企業がコントロールできる範囲を超えており、そのすべてを数字で綺麗に解決できるわけではない。それを無理やり求めていくと、CO2排出量を途上国から買うみたいな、ヘンテコなことが起こる。
そこにはどこかで理念というか、我々としてはこう考えるんだという、筋が通った答えが必要になる。こうした答えを見つけるためには、フィロソフィカルな思考が必要になる。
哲学というと、どうしても大所高所からの意見になりがちだ。それはある種の原点回帰であったり、本質論であったりするからだろう。それは組織の運営権を握る経営者に必要なものであり、我々社員には関係ないじゃん、というイメージがある。
しかしその一方で、社員にも哲学的思考が広く受け入れられるようになってきている。それが仕事を円滑に回したり、新しいアイデアを得たり、人間関係が改善したりするということがわかってきたからだ。
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