確かに、それは賢明だと思った。もともと、グーテンベルクの活版印刷が画期的だったのは、挿絵と文字ブロックを一つの版で刷れることによる量産性とコストダウンがポイントだったわけで、それよりはるかに安く、当たり前のように文字の組版や挿絵との混合を実現して、庶民が買える価格で流通させていた日本の印刷技術は、活版印刷のイノベーションそのものをぶち壊すような存在なのだ。もちろん、それを支えていたのは一般性がとてもない職人の技術なので、それを例外とするのは、ある種当然。
ちょっと前に、某メーカーの広報の方と話していた時、北斎の「富嶽三十六景 凱風快晴(がいふうかいせい)」、いわゆる「赤富士」が版画だと言ったら驚かれた。「グラデーションがきれいだから描いたものだと思った」というのだ。浮世絵を見続けていて、江戸の木版画によるグラデーションは当たり前の技術だと思っていた私は、それがちょっと新鮮だった。印刷技術について書かれた文章などでも、活版印刷はグラデーションなどには向かないとされることも多い。
確かに、機械式の印刷機では活版でグラデーションを均一に刷るのは難しいだろう。江戸時代から明治にかけての日本の木版画では、それは摺師(すりし)の技術によって実現されていて、現在もアダチ版画研究所などでは当たり前に使われている。
グラデーション自体は、機械刷りでもインクの付け方次第で実現可能なのだけど、難しいのは何枚も同じようなグラデーションで刷ること。先頃、作家のモモコグミカンパニーさんが、自主出版で少部数だけ制作販売された「氷の溶ける音」という本の表紙は、グラデーションの具合が一冊一冊違うことが魅力になっていたのだけど、それは活版印刷の特徴をうまく使ったアイデアだったと思う。
つまりは、平版式の凸版印刷の場合、少部数印刷ならば、版の作り方、インクの乗せ方、刷り方などの組み合わせ次第で、凹版印刷以上に細い線や、複雑な塗りが実現できるということだ。5月31日から7月21日まで、原宿の「太田記念美術館」で開催されていた「鰭崎英朋(ひれざきえいほう)展」は、江戸の浮世絵の技術をそのまま継承した木版画による明治の雑誌の表紙や口絵が、量産化の要請で、石版画になり、写真製版の元祖であるコロタイプ印刷から、さらに量産に向いたオフセット印刷へと変わっていく過程で、常に第一線の挿絵・口絵画家として活躍した英朋の作品をまとめて見ることができたので、印刷技術の進化が何をもたらして、何を失ったかを、じっくり見ることができた。そこにあったのは、木版画による線の繊細さとシャープさ。
大河ドラマ「べらぼう」でも描かれている寛政期の歌麿の浮世絵版画では、既に髪の毛一本一本を木版画で再現することに成功しているし、黄表紙では漢字仮名交じりの文字の全てを、挿絵と同じページにレイアウトして木版で印刷することが当たり前だった。その技術は明治の初期には、ものすごく磨かれて、極細の線を、クッキリと印刷することが楽にできる所まで進化していたのだ。
太田記念美術館「鰭崎英朋展」図録。当然だが図録は写真製版による印刷物(拡大すると網点が見える)なので、実際の展示で見ることができた木版や石版の作品の線や塗りは再現されていない。印刷物は、元の版がある限り複製可能だが、他の形では複製もデジタル化できないのが悩ましいところが、木版では枚数を刷ると版木がすぐ潰れて、新しく版を起こさなければならないし、刷りにも高い技術が必要ということもあって、どんどん売り上げを伸ばしていった雑誌の供給に向かなくなってきていた。それで、版の耐久性が高く、細い線を作ったり刷ったりするのに木版ほどの技術も不要な石版による印刷が主流になっていく。鰭崎英朋もそれに合わせて石版での仕事を増やすのだけど、木版時代と石版時代の作品を見比べると、はっきり、石版の方が線のシャープさに欠けていたのだ。
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