異世界転生ものが好調である。現実社会においては冴えない主人公が、あるとき異世界へ転生されてしまい、戸惑いながらも与えられたチートスキルを活用して幸せに生きるというタイプの物語だ。
ざっと思い付くだけでも、「無職転生 〜異世界行ったら本気だす〜」「転生したらスライムだった件」「チート薬師のスローライフ」「レベル1だけどユニークスキルで最強です」「サラリーマンが異世界に行ったら四天王になった話」などなど、アニメ化された作品だけでも数えきれないほどである。原作となるコミックも好調で、多くの配信サービスには異世界・転生専用コーナーが設けられ、次々と新作が登場している。
厳密に言えば、純粋な異世界ものと転生ものは、同じではない。前者の代表例としては「葬送のフリーレン」や「ダンジョン飯」といった作品が思い当たるが、これらは作中の人物全員が最初から異世界の住人であり、そこには現実社会に生きる人間の視点が持ち込まれていない。転生ものの特徴は、主人公が現実社会での知識や記憶を持ったままで異世界に登場し、その視点で物語が展開するというところである。
こうした異世界というものがわれわれの間に浸透したのは、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーといった名作RPGのヒットによるものと考えるのが妥当である。この点で言えば、「純異世界もの」はゲーム世界そのものを描いた作品であり、「転生もの」はゲームをプレイしている人間の視点ごと作品にしたもの、といえる。
その意味では、「転生もの」は非常に特殊な視点であるわけだが、すでにスタンダードな作品ジャンルとして定着した。定着するにはそれだけ旺盛なニーズがあるわけだが、そのニーズはどこから生まれてくるのか。そこには現実社会における不遇感や不公平感といったことが関係しているかもしれない。
転生する者には、一定のお約束が織り込まれている。それは、現実社会では評価されなかった者が、異世界へ転生する際に女神のような超越的な存在から、特殊なスキルを授けられるというものだ。
大抵そのスキルはちょっと一癖あって、そのままでは大して役には立たない。それを主人公は知恵を使ってファンタジー世界で軽妙に生きてみせるという点が、見どころになっている。
ここに横たわるのは、現実世界では自分は報われないという、社会不安だ。現代の日本は長期にわたる経済停滞の中、成果だけは厳しく求められるが給料が上がるわけではないという、「努力の成果が可視化されない」状況が続いている。
そうした不満を解消できる夢想を可視化したものが、異世界転生物語だと考えられる。努力はステータスとして数値化され、レベルアップやランクアップというかたちで明確に示される。異世界への転生は、報われない魂の昇華だ。
こうした考え方は、ギリシャ神話や古代ローマにおける信仰、中世あたりまでのキリスト教的な宗教観によく似ている。こうした教えには、どこかに幸せに暮らせる「神の世界」があり、信仰をまっとうすれば神から祝福が与えられてその世界へ行けるということになっている。このために現世では、神への信仰や贖罪、慈善などの徳を積み、善き人であることを神に示す必要がある。つまり祝福には、代償が伴うわけである。
一方で異世界転生のルールでは、チートスキルが与えられる条件は何もない。古代世界は神が作ったと信じられてきたが、異世界にも現実世界にも、創造主は描かれない。そこにあるのは、誰かが作った「システム」である。チートスキルは、システムから参加費として供与される軍資金である。王様から最初にもらえる30ゴールドみたいなものだ。
チートスキルで生き延びるとは、すなわちシステムハックするだけの頭があるという話である。その世界のルールを理解し、「バグの利用」によってシステムの隙を突き、事態を超越するのは、神への祈りではなくシステムへの信仰ともいえる態度である。いかにも、「神は死んだ」といわれる現代らしい考え方だ。
神のいない異世界で何をもって善悪を判断するかといえば、それは現実社会での自分の人生経験である。つまり現実社会では自分は十分に善き人であり、すでに徳は積んである、という考え方がある。このように当てはめていくと、中世までの宗教観と異世界転生は、非常に近いもののように思われる。
転生には、もっと単純化したパターンもある。現実社会では全く評価されない能力が、異世界では特殊能力とみなされるというパターンである。現代社会は誰かが作ったシステムであり、学生時代には存在した「個人的な能力が評価される仕組み」はあまり組み込まれていない。それよりも集団の成果が重視されるために、個々の能力は埋もれやすくなっている。
こうした個人の能力が評価されない人たちが思い描くのは、「自分の価値を認めてもらえる世界がどこかにある」という希望の物語だ。そうした願望を持つ人々にとって異世界転生は、「現実世界での社会的契約を一度破棄し、新たなルール体系で自己を再構築する」という意味になる。これは特に、キリスト教におけるイエスの復活と、最後の審判がおとずれて新しい世界が始まるという物語の、現代的な焼き直しとも考えられる。
中世までは人生をこの思想に全ベットしなければならなかったわけだが、現代の日本にはその物語がいくらでも生産されている。いつでもどれにでも乗れて、現実社会に打ちのめされ破壊された魂は、そこで救済されるわけである。
だが、こうした魂の救済は、長続きしない。物語を読み終えて現実社会に戻れば、再び魂は破壊される。そして癒やしを求めてまた次の物語を探し求める。こうしたサイクルが出来上がったことが、異世界転生ものが1ジャンルとして定着することとなったエンジンであると考えられる。
かつては、こうした癒やしを受け持ったのはSNSだった。現実とは違う別の社会が存在し、そこでなら多くのフォロワーたちから「いいね!」がもらえる。だがSNSの台頭から15年が経過し、そうした価値は失われた。
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