なぜ判断がこれほど増えたのか。背景には、仕事の設計思想の転換があります。
日本企業は90年代以降、一貫して業務を細分化し、切り出し、割り振る方向に進んできました。エンジニアで言えば、非正規雇用の拡大、10年代のSESやフリーランスの一般化、そして20年のコロナ禍で加速したジョブディスクリプション(職務定義)に基づく管理。誰が何をやるかを明確にし、無駄を削り、同じ成果をより少ないリソースで出す。いわば業務のダイエットを、長年かけて磨いてきたわけです。
そこにAIが現れました。AIは既存業務の効率化ツールとしても使えますが、本質はそれだけではありません。「そもそもこの業務は必要なのか」「もっと別のやり方があるのではないか」という問いを、現実的なものにしてしまう技術です。つまり最適化から再設計への転換が起きています。
この転換は、これまで安定していた前提を揺るがします。職務範囲が明確に定義され、その範囲内で成果を出せばよかった時代から、業務そのものを組み替える必要のある時代へ。結果として、職務定義からのはみ出しが常態化します。自由度が上がったように見えて、実際には「どこまでやればよいのか分からない」という不安定さが生まれます。この“終わりの見えなさ”こそが、変革を求められることの心理的な重さです。
さらにトップダウン型の導入は、これを増幅させます。経営層は「AIで効率化せよ」と目標を掲げるものの、方法論までは示さないことが多いでしょう。設計責任は現場に丸投げされる一方で「どれだけ効率化できたか」という成果だけが求められ、試行錯誤の過程は評価されにくい。
企業側でも、AI活用が期待通りのROI(投資対効果)に結び付かず、責任者の関心がむしろ後退しているという調査もあります。号令と現実のギャップが、現場の疲労感をさらに濃くしています。
もう一つ、見過ごされがちな疲れの源があります。仕事の面白みが変わってしまったことです。
とりわけプログラマーにとって、これは切実でした。多くのエンジニアは、コードを書く過程そのものを楽しんできました。どう解くかを試行錯誤し、うまく動いたときに手応えを感じる。プログラミングを、パズルを解くような感覚で味わってきた人は少なくありません。
ところがAIが実装を肩代わりするようになると、その“過程の喜び”が薄れていきます。AIが奪ったのはエンジニアの仕事そのものではなく、仕事への情熱だったのではないか?――そうした指摘も現れています。
これは能力の問題ではなく、喜びの所在の問題です。過程に喜びを感じてきた人ほど、AIによってその源泉を失い、「楽しくなくなった」と感じやすい。企業内で若手エンジニアの声を聞くと、「開発が楽しくなくなってきた」「この先が不安だ」という2つの訴えがよく重なります。
一方で、同じAI駆動開発を楽しんでいる人たちもいます。彼らに共通するのは、喜びの所在が過程ではなく結果にあることです。速くアウトプットを出せる、ユーザーがどう使うかのリアクションを早く見られる――結果がどう作用するかに喜びを感じる人にとって、AIはむしろ吉報です。
つまり、ここで問われているのはマインドチェンジです。過程を味わう働き方から、結果を届ける働き方へ、視点をシフトできるかどうか。無理に楽しさを捨てろという話ではなく、自分は何に喜びを感じるのかを一度見つめ直し、AIという環境の変化に合わせて喜びの置き場所を組み替えられるか、という問いです。この転換ができないと、しばらくはツラい時期が続くかもしれません。
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