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「憎悪」×「友情」×「MS=SM」International Feel

» 2004年04月06日 22時13分 公開
[松尾公也,ITmedia]

 エルトン・ジョンの不朽の名作、“Goodbye Yellow Brick Road”には、いくつもの名曲が埋まっている。タイトル曲の“Goodbye Yellow Brick Road”、故ダイアナ妃に捧げたものよりはるかに良い出来栄えの“Candle In The Wind”、「土曜の夜は僕の生きがい」“Saturday Night's Are All Right For Fighting”などなど。その中に、シングルカットされていないけど、メランコリックな佳曲、“I've Seen That Movie Too”がある。ある映画を見に行っていたと言い訳する恋人に、「その映画はぼくも見たことがある。それで嘘がつけると思うなんて馬鹿だ」となじる、そんな曲だ。

 そう。こんな場面はたしかに前に見たことがある。Apple暫定CEO(当時)のスティーブ・ジョブズ氏が、Macworld Expo/Boston 1997基調講演会場の大スクリーンに、Microsoftのビル・ゲイツCEO(当時)を呼び出し、「もはや敵ではない」と宣言したときだ。その場にいた誰もが凍りついた。このときのビル・ゲイツの出方は、“1984”コマーシャルのこのときの「ビッグ・ブラザー」そっくりだったからだ。MicrosoftはAppleに1億5000万ドルを出資し、MacBU(Mac Business Unit)を設立し、Officeを5年間作り続けると確約した。同じような出来事が、今度はSun MicrosystemsとMicrosoftとの間に起きたのだ。

 金額からすれば、今回の「提携」は、19億5000万ドルと、10倍以上の規模になり、拘束される期間もApple=MSの5年間の2倍である10年間にわたる。AppleとMSの提携は、双方に利益をもたらしたが、今回はどうだろうか? Apple=MSではMacコミュニティという、閉じた世界への影響でしかなかったが、MS、Sunという、対立するそれぞれの陣営に属していた企業、顧客、デベロッパーにとっては、寝耳に水、驚天動地、のはずである。.NET陣営とJava陣営にとって、その先行きがガラリと変わるターニングポイントになるはずだ。

 .NETとJavaを、プロプラエタリ vs. オープンソースという対立構図で描くことができないのは、「IBM、SunにJavaのオープンソース化を要請」という件で、すでに露呈していた。SunがJavaのオープンソース化を拒否していたのは、その時点で.NETとの協調路線が決まっていたからといううがった見方もできる。「MS、初のオープンソースソフトをリリース」というニュースまで飛び込んできて、何がなにやら……。GPLはだめだけど、CPLならオッケーということなのね。それにしても、「GPLは商用ソフトビジネスとして、若干の課題があるように当社は感じている」と、完全否定というわけではない模様。ウイルス呼ばわりしていた頃とはえらい違いだ。

 さて、.NETとJavaは、いくつもの要素技術で対立していた(既に過去形)。言語としては、C#とJava、ウェブサービスとしては.NETとJava Web Servicesアーキテクチャー、ディレクトリサービスではActive DirectoryとJava System Identity Serverといった具合だ。「.NET-Java「連合」の前途に立ちはだかる障壁」によれば、今回の提携により、これらがマージするというわけではない。「『決して』とは言わない……言うべきではないが、C#とJava言語を統合する計画も、.NETとJava Web Servicesアーキテクチャーを統合する計画もない」とマクニーリー氏が発言している。Gartnerの副社長も、「.NETプラットフォームとJ2EEの違いは大きいため、分けておくことが理にかなっている。JavaとC#は個別に成長を続けるだろう」と裏付ける発言をしている。

 当面は、それぞれが独立性を保ったままで、相互運用性を高めていくことになりそうだ。これまで、両プラットフォーム間のインターオペラビリティの実現は、Sunによるリバースエンジニアリングによって行われていたと、上記の記事では述べている。「この取り組みではプロトコルを推測しなくてはならなかった。特にセキュリティとID管理に関して、一部の機能がうまく動作しない」という問題もあった。双方の情報交換により、相互運用性が高まれば、2つの別世界テクノロジーを使わなければならない大企業顧客にとっては、問題がひとつ片づくことになる。

 Microsoftにとっては、Javaライセンスに関する係争に片がついたので、Java VMを継続できることになる。「MicrosoftとSunはJavaと.NET技術の間の連係を強化するべく力を合わせる。Microsoftは自社製品でのJava Virtual Machine(JVM)のプロダクトサポート継続を認められる」という。これも、ITマネジャーにとっては朗報のはずだ。

 しかし、この和解に対する批判も当然、ある。「Sun-Microsoft全面和解への“賛”と“否”」では、Microsoft Communications Protocol Program(MCPP)のライセンス供与条件が厳しいため、SunのLinuxでは利用できない可能性があると指摘している。

 また、マクニーリー氏は、これでリストラは最後と述べているが、「Sun、MSとの和解の一方でリストラ実施」で3300人を削減し、新社長にジョナサン・シュワルツ氏、後任のソフトウェア担当副社長にジョン・ロイアコノ氏を据えるなど、社内体制の建て直しにかかっている。MSから約20億ドルをゲットしたとはいえ、四半期の純損失は8億ドル近く。MSとの提携の結果がすぐにでもほしいところだろう。

 実は旧友だったという(本当かね?)、ともに体育会系(マクニーリーはアイスホッケー、バルマーはフットボール)で、出身地はデトロイト近郊、父親は自動車関係、そしてビジョナリーではなく、マーケッターというふうに共通項の多い二人が、NHL、デトロイト・レッドウィングズのシャツを交換する。“I've Seen That Movie Too”は、恋人の嘘に幻滅した主人公が、映画の「あのアクションも、いまは馬鹿げたものに思えてくる」と語る。バルマーと肩を組んでいるマクニーリーが本物だとすれば、これまでの歯に衣を着せぬMicrosoft批判はなんだったんだ?

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 先週、子供の春休みを利用して、長崎に帰省してきた。コロッケを買っていたスーパー、ゴルゴダの丘を模した「十字架山」、山の上にある小学校に上るための百数十段の階段、中学校のそばにあるラーメン屋などの記憶をたどりながら、デジカメで記録に残してきた。自分で残しておかないと、誰も残してくれないからだ。キーパースンの子供時代は、ドラマや映画で歴史に刻まれる。こんなふうに……。

 「ぼくはアイスホッケーをやろうと思ってるんだ。君は?」 二人が最初に出会ったのはNHLの試合だった。仲の良かった子供時代のエピソードでストーリーは始まる。一転して大学時代。ハーバード大学の仲間(ビル・ゲイツ&ポール・アレン)のおかげでのしあがっていくバルマーへのねたみ、あせり。しかし、天才集団は西海岸にもいた。マクニーリー自身もスタンフォード大学でビル・ジョイアンディ・ベクトルシャイムを見つけ、ワークステーション・コンピューティングへの道を進む。「これならスティーブ(・バルマー)と競り合うこともなく、派手にかせげるさ」とスコット。

 しかし、MSはWindows NTで、ビジネス市場に狙いを定めてきた。「次の狙いはワークステーションだ」とゲイツ。「し、しかしっ。そこはSunの牙城で」「バルマー、旧友だから手加減をするというのかい?」「いえ、そのようなことは……」。MS立つ、との知らせに驚くマクニーリー。「バルマーめ、裏切ったな。でも、ここは俺達のテリトリーだ。手出しはさせない!」と戦いを挑む。

 いろいろあって、最後のシーンは2004年4月2日。サンフランシスコのホテルで、ユニフォームを交換しあう二人。そのユニフォームは、実は、最初の出会いで交換したユニフォームだったのだ。MSによるApple支援のシーンで終わる“Pirates of Silicon Valley”みたいに、映画化されるのを期待しよう。マクニーリーの毒舌、バルマーのダンス、失われた友情、戦い、新たな敵の登場(IBMとLinux)、再びタッグを組む二人、と見どころはたくさんあるはずだ。

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