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» 2011年11月10日 16時30分 UPDATE

東北は今:ゴネ得はしたくない──被災地南三陸に広がる「ネット情報格差」

震災直後に「anpiレポート」を立ち上げた和田裕介氏が主催する「リボーーーン」プロジェクトは、被災地の今をリアルとソーシャルを通じてつなげる取り組みを進めている。志津川高校避難所の給食(300人分×3食)を作り続けたスポーツバー経営・内田卓磨氏はリボーーーン例会での講演を通じ「被災地のネット格差がそのまま支援格差につながっている。解消を急がねば」と指摘する。

[構成:石森将文,ITmedia]

心がけたのは「物資を貯めずに使い、配ること」

 南三陸町で兄弟2人、スポーツバーを経営していましたが、津波で店を失いました。避難した時に持っていたのは、たまたまポケットに入れていた7000円の現金と携帯電話、そして車の鍵だけ。もちろん車は津波に流されました。震災の直後は気持ちも落ち込み、避難所の隅で目立たないようにしていました。でも体が大きいので目立ってしまい、「ちょっと仕事を手伝ってよ」ということになりました。正直最初は、イヤイヤやっていた、というのが正直なところです。

uchida1.jpg 会場で質問に答える内田さん

 仕事というのは、避難所近くに流されていた遺体の回収です。最初は9体という話でしたが、ガレキを片付けながら引き上げてみると、最終的には37体もの遺体を回収することになりました。ボロのブルーシートに包んで安置しなければいけないのが、悲しかったですね。

 避難所は志津川高校に設けられていましたが(注:300人弱の被災者が避難していた)、食事を誰が作るのか? という問題がありました。調理師免許を持っていたのは自分たち兄弟だけ。だから自分らが中心になり、そこに町の精鋭のおばちゃん達を集めて、全員分の食事を作ることにしました。おばちゃんたちの包丁さばきは本当にすごかった。

 当初、日本の食材は届きませんでした。イタリアなどから届いた、海外の支援物資が多かった。僕は店で洋食を出していましたから、地元のおばちゃんたちに「これにケチャップを入れればナポリタン味になるよ」っていう具合でやっていました。

 困ったのは、食材の保存です。支援で頂いたものを、腐らせたり捨てたりするわけにはいかない。震災直後はまだ気温が低いからいいのですが、夏には暑くなることが分かっていましたから、早い段階で大型冷蔵庫の手配を行政に依頼していましたが、結局届いたのは7月を過ぎてのこと。これでは間に合いませんが、親しくしていたブラジル人が100台ほどの冷蔵庫を提供してくれて助かりました。もちろん他の避難所や、地区にも配りました。

 全国から送られる救援物資は、南三陸町のベイサイドアリーナという施設に集められていました。そこには大量の物資が、それこそ山のように積まれていたのですが、もらいにいっても「物資は公平に配らなくちゃいけない。そのルールがまだできていない」ということでもらえない。空のトラックで行き、空のままで帰ってくるということが続きました。

 そうしているうちに、避難所で電気が使えるようになり、携帯電話も充電できるようになりました。それからは一生分の電話をしたかもしれません。行政は頼れないので人づてに支援を頼み、物資を届けてもらったのです。

 最初は避難所の人たちの分だけ集めることを考えていましたが、10以上の地区に、1000人以上の在宅被災者がいることが分かりました。避難所に所属していない彼らは、事実上、支援から取り残されていました。なぜだか分かりますか? それは行政からすると「面倒くさい」からです。まずは届けてから分配すればよい避難所とは違い、在宅被災者に対しては食料や飲料、生活物資などを仕分けて配らなければいけません。そこで僕らが志津川高校の体育館に物資を集め、自衛隊の支援を受けて仕分け、各戸に配りました。心がけていたのは「物資を体育館に貯めないようにすること」。ベイサイドアリーナのようにはしたくありませんでした。こういった活動を、行政を頼らず8月いっぱいまで続けました。

被災地に広がる「ネット情報格差」

 仮設住宅の割当について、町側と揉めたことがあります。当選連絡を受け、うれしくて入居予定の仮設の前で写真まで撮ったのですが、その日のうちに「当選は間違いだった。無かったことにしてくれ」という連絡がありました。

 自分は震災後、Twitterを始めましたが、そこではグチや批判をつぶやかないようにしていました。でも今回のことでは、Twitterに思いのたけをぶつけてしまった。その内容を、ある国会議員が見ていて、僕に連絡をくれたんですね。そしたら、これまでは一度も避難所を訪れたことがなかった南三陸の町長が、手土産まで持って僕のところにやって来ました。その手土産というのが、近所の仮設住宅です。

 でもこの手土産を受け取るということは、他の誰かが入居できなくなり、以前の僕のように悲しい思いをするということです。皆が大変な状況に置かれているのに、「ゴネて得をした」と思われることだけはイヤでした。そこで、南三陸町から車で50分ほど離れた登米町の仮設住宅に空きが出るのを待ち、今はそこに入居しています。

 僕の一件でもそうですが、インターネットで情報発信できる被災地域には、もらい過ぎではないかと思うくらい支援物資が届きます。これはこれで問題で、「もらいぐせ」がついてしまうと自立する気持ちが失われてしまいます。でも、それができない、あるいはやり方を知らない地区は注目されることがなく、ほとんど物資が来ていません。その格差が急速に広がっているんです。とても悔しいし、納得できません。僕らの手で解決しようにも、震災から半年以上がたち、行政の機能が回復してきましたから、以前のような自由な活動は難しいんです。そこがもどかしい。

 ボランティア団体との連携も、考えなければいけません。例えば今、ある大きな2つの団体からそれぞれ、冬に向けてコタツとストーブを配布すると言われていますが、まだ届いていません(注:イベント開催日の11月5日時点)。ぶっちゃけた話、ホームセンターで買い付ければ済む話なんだけれども、来ると分かっているのに買うのもちょっと、と思いますよね。そういうことが結構あります。

uchida2.jpg 支援に当たった自衛隊と

 僕個人の話をすると、今後については気持ちが揺れています。もちろん地元が好きだし、ここで頑張っていきたいという気持ちはあるんだけれども、津波で流された店の借金もまだ残っている状態です。だから今は、心機一転、東京で店を始めようかなとも考えています。今の支援は、被災地の中で頑張る、被災地を復興する、という方向に向いていますが、ひょっとしたら地元を出て外で頑張る、という人に向けた支援も必要かもしれない。地元を愛する気持ちとは矛盾するところもあるんですけれど。

 皆さんにお願いしたいことがあります。それは「被災地に来たことがない人は、ぜひ来て、見て、遠慮せずデジカメでたくさん写真を撮って、ネットにアップしてほしい」ということです。震災の爪痕はまだそのまんまなんだ、ということを伝えてほしいんです。

 今後どんどん、震災については忘れられていくでしょう。それは僕らも覚悟しています。でも少しでも覚えていてもらえるよう、現地の写真をアップしたり、飲み屋で話題にしたりしてほしいんです。それが、僕が伝えたいことです。

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