黎明期――モバイルワークが誕生した最初の一歩モバイルワーク温故知新(3/3 ページ)

» 2012年07月12日 08時00分 公開
[池田冬彦,ITmedia]
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PHSがPCモバイルのインフラになる

 携帯電話がiモードなどのメール&コンテンツサービスで着々と利用者を増やしていくのに対し、PHSは音声通話料金が安いにもかかわらず、利用者が伸びず、1998年のピーク時でもわずかに700万人程度だった。携帯電話本体の価格競争が激化してPHSが安いというイメージが薄れたことや、iモードなどの携帯電話のサービスが多様化・多機能化し、PHSの魅力が薄れたことが原因と想定される。

 そのような状況で巻き返しを図るべく、DDIポケット(現ウィルコム)が打ち出したのが、2001年6月に開始したPC向けのデータ通信サービス「AirH"(エアーエッジ)」(現Air-EDGE)である。

 当時、携帯電話を使ったPCのデータ通信サービスには定額プランがなく、Webブラウズやメールといった一般的な利用でも、使い方によっては膨大な料金がかかってしまうのが難点だった。しかし、AirH"は「つなぎ放題」という定額プランを用意し、どれだけ使っても月額7000円と、当時としては破格の料金コースを設定した。

 通信速度は最大64kbps(後に128kbps、256kbpsのプランも開始)と3G通信よりは遅かったが、どれだけ使っても月額料金の上限が決まっているのは安心だった。また、DDIポケットは精力的にPHS基地局を設置し、携帯電話が苦手な地下街や駅の構内、主要な施設などに大量のアンテナを立て、ユーザーの便宜を図った。

 このサービスに目を付けたのが当時の先進的なモバイラーだ。料金を気にせず屋外でPCの通信ができることは、大きな魅力だった。また多くの種類の通信カードが用意され、WindowsやMacからPHSを通じてインターネットにアクセスできた。主要なインターネットプロバイダーもAirH"に対応し、モバイラーの一大インフラの地位を確立した。

 ブロードバンドが普及し、VPNによるリモートアクセスを導入する企業が増えるようになると、AirH"経由で会社のイントラネットにアクセスして情報をやり取りするといった事例も増えてきた。しかし、屋外でPCを使うことは当時としてはまだまだ珍しいことだった。PHSユーザーは劇的に伸びることはなく、2005年にはNTTドコモ、アステルが撤退を表明し、DDIポケットはウィルコムに吸収された。

 ウィルコムになってからもAir-EDGEは、モバイラーにとって最も安価なインフラであることに変わりはなかった。特に営業マンやメディアの取材記者など、一日の大半を外で仕事をする人たちに重宝された。64kbpsという通信速度は決して速くはなかったが、メールが中心という利用では十分だし、比較的容量が小さなファイルのやり取りも可能だった。

AirH"端末はPCカード型の製品のほか、コンパクトフラッシュ型のモデルもあった。また128kbpsで通信ができる通信端末も2001年5月に開催されたビジネスショウに早々と展示されていた
ワイヤレスジャパン2003のDDIポケットブースでは、256kbpsに高速化したPHSデータカードを展示していた

元祖スマートフォンの登場

 PHS事業者最大手となったウィルコムにとって、さらなるユーザーの獲得は急務だった。そこに投入したのが、全く新しい情報端末「W-ZERO3」だ。W-ZERO3はPDAの分野で多くの実績を持つシャープとマイクロソフト、ウィルコムの3社が共同で開発し、2005年12月に発売された。

 3.7インチという大きなタッチパネル式液晶画面とQWERTY配列のスライド式ハードウェアキーボードを持ち、Windows Mobile OSを搭載するという、当時としては画期的な製品だった。通信はAir-EDGE(PHS回線)と無線LANに対応しており、メールやWebブラウズなどが可能で、Windows Mobile向けのオンラインウェアなどもインストールして利用でき、好みの端末として活用できたのも大きな魅力だった。

 W-ZERO3は多くのモバイラーに支持された。初回出荷分は予約で完売し、半年で販売台数が15万台に達するなど、PHS業界にとって大きなヒットとなった。また法人の中には一括導入して、社内外を問わずメールをやり取りしたり、イントラネットへアクセスしたりと、さまざまなビジネス活用のアプローチが行われた。

 しかし、Windows Mobileの完成度は低く、メールやWebブラウズといったシンプルな動作についても、設定や操作が面倒という問題があった。また、PHSの通信速度では、1つのWebページを表示するのに数分かかることもざらで、パフォーマンス面で厳しい状況があった。スタイラスペンを使わないと操作が難しいというのも面倒だった。熱心なモバイルユーザーには支持されたが、一般的な携帯電話ユーザーにも裾野を広げることはできなかった。

 W-ZERO3は間違いなく国産スマートフォンの元祖のような存在であり、当時としては最先端のデバイスであったことは間違いない。3G通信が高速化し、今日のようなHSPA(High Speed Packet Access)通信サービスが開始するまでこの分野におけるメインストリーム製品であり、ユビキタスを具現化する日本で最初のデバイスだったと言えるだろう。

W-ZERO3は2005年12月発売の初代(WS003SH/WS004SH、左から2番目)をはじめ、改良型のWS004SH(左)、縦型のW-ZERO3【es】(左から3番目)、Advanced W-ZERO3【es】(右)など、いくつかの製品が登場している

 さて、次回は趣向を変えて、無線LANの登場から現在に至る歴史を振り返り、家庭やオフィスでの無線LAN環境の進化や公衆無線LAN、移動体無線LANの進化について、みていくことにしよう。

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