勉強が面白くて東大を目指す:挑戦者たちの履歴書(4)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、漆原茂氏の中学時代までを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
中学、高校を通じて「勉強が面白かった」という漆原氏。一体、どのあたりに面白みを感じていたのだろうか?
「特に理系の学問は『深い』と感じていました。学ぶと『なるほど』と思わせることがたくさんあって、でもそれを信じているうちにさらにその先の世界が開けてきて、また探究心がわいてくる。つまり、『面白い』と思いました」
漆原氏が小学生のころから抱いていた理系の世界への探究心は、中学生・高校生になってもまったく衰えることはなかったようだ。それどころか、ますます興味は深まるばかりで、物理や化学などの勉強は本当に面白くて仕方がなかったという。学校で教わること以外にも、自身の探究心を満たすために技術雑誌などを買ってきては、独自に勉強を進めていた。
「未知のものって、ロマンがあるじゃないですか。宇宙がそうだし、素粒子科学もそうだし。半導体の技術もまだ当時は発展途上で、日進月歩でどんどん進化していく。それを目の当たりにしながら学ぶのは、本当に面白かったですね」
逆に、歴史の年号を暗記するなど、単に知識を頭に詰め込むだけの勉強は苦手だった。これは、大人になった今日でも変わらないという。
「でも、いまでは歴史もとても面白いと感じます。歴史上のさまざまな出来事の因果関係や、その裏にある人間ドラマが理解できますから。でも当時は、そういう面白さを見い出すことができなかったんですね」
やがて高校最後の年を迎え、大学受験を目指すことになる。漆原少年の志望先は、当然のことながら理系の学部。第1志望は東大だ。その中でも、工学・物理系の「理科一類」を志望した。ちなみに、東大のほかの理系教科には、化学・生物系の「理科二類」と医学系の「理科三類」があるが、自分の適性を考えた結果、ほとんど迷わず理科一類を選んだ。
東大を目指すとはさすが、と水を向けると、
「国立大学は学費が安いですし、その中でも理系といえば、まあ東大かなと……」
と、謙遜しながら少し申し訳なさそうに話す。しかし、東大を志望したのにはほかにも戦略があった。
「当時の東大の入試は、理系科目の配点が多かったんです。『苦手な国語や英語が例え0点でも、得意な理系科目で点を稼げば受かるはず!』と勝手に思い込んでいたんですよ」
ちなみに、受験勉強はかなりやった方?
「うーん、そんなに必死にやった記憶はないんですよね……。でも、こんな言い方をすると、すごく生意気に聞こえてしまいますよね」
と、少し困惑気味に話す。普段からコンスタントに勉強はしていたので、受験直前になって必死に追い込みをかけるような勉強はした記憶がないという。特に、好きだった理系科目は、学校で教わる内容に飽き足らず、独自に勉強を進めていたため、かなり早い段階で高校3年間のカリキュラムを終えていた。
そういえば、筆者の高校時代にも周りにこういう生徒がいたことを思い出す。高校3年生の秋になっても普段と変わらぬペースでのんびりと過ごし、そして涼しい顔をして難関大学に進学していった彼ら……。そう、いま思い返せば彼らは漆原氏と同じく、普段からコツコツ勉強することを厭(いと)わなかったのだ。
ちなみに筆者はといえば、それまでまったく勉強せずに遊びほうけていたにもかかわらず、彼らののんびりペースに歩調を合わせて受験に臨んだところ、見事にコケてしまったのだが……。
ちなみに当時の漆原少年は、何か将来実現したい夢があって東大を目指したのだろうか? 現在、これだけのことを成し遂げている同氏のことだ。当時から「将来に対する大きなビジョンを描いていたのでは?」と感じる。筆者のこんな勝手な思い込みから尋ねてみると、
「いや、特に大学を出た後に具体的に何をしようといったビジョンはなかったですね。ましてや、ITの世界に入ろうとは、当時はまったく考えていませんでした。まあ理系ですから、好きな物理の研究者になって、学校の先生にでもなるのかなあ、という程度のぼんやりした将来しかイメージしていませんでした」
少しはぐらかされた格好だが、とにもかくにも漆原少年は無事東大の理科一類に合格し、キャンパスライフをスタートさせることになる。そしてそこで、漆原氏の将来を決定付けるさまざまな転機を迎えることになった。
この続きは、5月21日(金)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
- 学生の内にオープンソースの世界を踏み台にしろ!
- 第二次ブラウザ戦争の先にあるものとは
- Firefox成功の要因は“ブログの口コミ”
- 苦心したコミュニティとの関係構築
- 一度足を洗ったものの、再びブラウザの世界へ
- “1人ネットスケープ”になっても衰えなかった製品愛
- 聴力を失っても頑張り続けたネスケサポート
- 出産3時間前まで開発を続ける
- 結婚式の翌日には米国にとんぼがえり!
- “MOJIBAKE”を一般語化させる
- ネスケ本社のいい加減なテスト方法に驚愕
- 肌で感じた日米の“エンジニアへの待遇格差”
- 社会貢献が開いたブラウザ活動への道
- 出戻り先の東芝で出会った運命の相手
- 通勤前後に水泳インストラクターをこなす超人
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