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» 2011年12月21日 12時00分 公開

出産3時間前まで開発を続ける挑戦者たちの履歴書(137)

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。今回は、瀧田氏のネットスケープ時代を取り上げる。初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

[吉村哲樹,@IT]

 1998年11月、出産準備のために米国から日本に帰国した瀧田氏。その後、出産直前になるまでネットスケープ日本法人のオフィスに出勤していたが、ある日経営陣から呼び出しを受ける。雇用形態を、正社員から契約社員に切り替えたいという申し出だった。前回も紹介した通り、第一次ブラウザ戦争の敗色濃厚となっていた当時のネットスケープは、経営状況が極めて逼迫(ひっぱく)していたのだ。

 「私が担当していたクライアント製品は、1998年にオープンソース化されたため、直接収益を上げられなくなったんです。その途端に、これまでの実績や現在の影響力も全て無視して、『たかがクライアント製品』という調子でしたからね……」

 しかし、会社に対する不信感が募る一方で、仕事に対する情熱はいささかも衰えることはなかった。とにかく製品に対する愛着が、人一倍強かったのだという。

 「当時のクライアント製品、Netscape Communicatorには一から関わってきたので、ほとんど自分の子どものような存在だったんですよね」

 ちなみに、当時日本での瀧田氏の住まいは何と、夫の勤務先がある奈良!

 そこから、毎週月曜の始発の新幹線で東京に出てきて、金曜までホテルに泊まりながら都内のオフィスで仕事をこなし、金曜の夜にまた奈良に戻るという生活を、出産前の大きなお腹を抱えながら続けていたという。普通の人なら、「何も、そこまでしなくても……」と思うかもしれないが、瀧田氏は「そこまでしてでも、やりたいことがあった」と断言する。それだけ、仕事や製品に対する思い入れが強かったのだ。

 しかし一方で、会社に頼ることや、会社に借りを作るようなことはしたくない。そこで、この「スーパー遠距離通勤」に掛かる交通費や宿泊費の全てを、自腹で賄っていたと言う。

 「特別扱いされることが、絶対に嫌だったんです。会社から『特別にやってあげてるんだから』と言われたくなかったし、自分の思い入れでやっていることだったから、全て自己解決したいと思ったんです」

 こうして、出産間近まで大きなお腹を抱えながら、奈良?東京間のスーパー遠距離通勤を続けた瀧田氏。「うちの子は、新幹線の中ではよく眠るんですよ。何せ、あのころに胎内で新幹線の音をずっと聞かされてましたからね!」。そう笑って話す同氏だが、さすがに出産予定日を間近に控えたタイミングで鳥取にある実家に戻り、出産に備えた。

 しかし、いざ出産を迎える段になっても、出産3時間前まで(しかも明け方の4時!)ネットで必死に開発を続けていたというから、驚くほかない……。

 そして、無事に男の子を出産。さすがに出産直後は休養したかと思いきや……。何と、出産の翌日から早くも病室にこっそりPCを持ち込み、オンラインで仕事を再開していたという!

 「もはや、ネット依存症ですね! 根が小心者なので、『もしトラブルが発生してたらどうしよう……』と思うと、心配でたまらなくなってしまうんですね。やりとりしていた米国本社のエンジニアには、『出産直後なのに、仕事やってる場合じゃないだろう!』と怒られましたけどね!」

 根が小心者……。果たして本当だろうか!?


 この続きは、1月11日(水)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


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