とにかく頑固でわが道を行く少女時代挑戦者たちの履歴書(122)

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。今回からは、瀧田氏の子供時代を取り上げる。初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

» 2011年11月09日 12時00分 公開
[吉村哲樹,@IT]

 「幼少のころは、とにかく活発に外で遊んでいる子どもでしたね。いつも膝に擦り傷を作って、赤チンの跡が残っているような!」

 Mozilla Japanの代表理事 瀧田佐登子氏は、自身の幼少時を振り返って、笑いながらこう語る。鳥取県鳥取市で、2人姉妹の妹として生まれた瀧田氏。同氏の父親は、鳥取市にある鳥取赤十字病院で小児科医を務める医師だったが、1人目の子どもが女の子だったため、2人目には男の子を切望していたのだと言う。ところが、実際に生まれてきたのは女の子。

 「父親はとにかく男の子が欲しかったので、私は小さいころは男の子として育てられたところがあって。小さかったころに行った家族旅行の写真を見ると、なぜか私は男の子の格好をさせられてたりするんですよね」

 そのせいか、幼少時の瀧田氏は男の子勝りの活発な子どもだったと言う。家の庭に植えられている木に登って秘密基地を作ったり、公園で日がな一日中遊び回って、なかなか家に帰って来なかったり。遊び友達も同年代の女の子よりは、男の子や姉の同級生など、年上の子どもが多かったと言う。

 「姉がいじめられたら妹がその敵討ちに行く、みたいな。そんな感じでしたね!」

 ここまでの話を聞く限りでは、いかにも田舎によくいそうな、素朴で活発なやんちゃ坊主というイメージだが、幼かったころの瀧田氏の場合は、そうしたステレオタイプとはちょっと違う一面もあったと言う。

 「とにかく頑固で正義感が強い子どもだったようです。いじめられている子がいたら、いじめっ子の男の子と正面きって喧嘩するような。あと、幼稚園の同じクラスに身体にハンディキャップを持つ子が1人いたんですけど、ずっと横にいていろいろ世話を焼いていたそうです」

 特に頑固さにかけては、輪を掛けて人一倍強かったと言う。例えば、子どものころの瀧田氏の頑固さがうかがえる、面白いエピソードがある。

 小学2年生の遠足のときのこと。幼い瀧田氏は、その道中で石を拾い集めていた。それを見かけた教師が、その石を何に使うのかと尋ねたところ、「お母さんのために漬物石を持って帰る」と答えた瀧田氏。「そんな小さな石では、漬物石にはならないから、置いて帰りなさい」そう教師が促すと、同氏は石を捨てるどころか、「じゃあ、どれぐらいの大きさの石なら漬物石になるの?」。

 そして何と、漬物石と同じ大きさほどの大きく重い石を、教師の制止を振り切って「意地でも持って帰る!」と言い張り、家まで持ち帰ったのだと言う! いまだに瀧田氏の母親はこのときの石をとっておいてあると言うが、漬物石にも使えるほどの大きさの石となると、大人にとっても決して簡単に運べる重さではない。ましてや、小学2年生の女の子にとっては……。

 「とにかく頑固で、わが道を行くタイプでしたね。それは、今でも基本的には変わっていないと思います」

 こう瀧田氏は笑って話すが、幼少時の思い出を快活かつ軽妙に、笑いも交えながら話す同氏の姿からは、一見すると頑固なイメージは想像できない。しかし、実は幼少時は活発さの半面、口数はどちらかというと少ない子どもだったのだと言う。頑固さや、わが道を行く性格もそうだが、この時期、ほかの子どもよりも早く、自我や社会意識が芽生えていたのかもしれないと瀧田氏本人は話す。

 「何となく幼心ながらに、『学校で勉強させられる』という枠に閉じ込められるのが嫌だったところがあったんだと思います。ちょっと、社会に対する反骨心みたいなものが、早くから芽生えていたのかもしれませんね」


 この続きは、11月11日(金)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


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