肌で感じた日米の“エンジニアへの待遇格差”挑戦者たちの履歴書(133)

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。今回は、瀧田氏のネットスケープ入社時代を取り上げる。初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

» 2011年12月12日 12時00分 公開
[吉村哲樹,@IT]

 東芝でUNIXのソフトウェア技術者として働きながら、インターネットやWebの世界への傾倒を日に日に強めていた瀧田氏。1996年、そんな同氏のもとに思わぬオファーが舞い込む。当時東芝は、米ネットスケープ社の製品をライセンス販売しており、瀧田氏は東芝側の窓口としてネットスケープとのやりとりや折衝の任に当たっていた。

 「当時、ネットスケープの製品は日本語化がきちんとされていなかったんです。そのころは、まだインターネット上の日本語コンテンツの数も少なかったので、それでも何とかなっていました。でも、東芝の技術担当者としては、『これはちょっとまずいだろう』と思って、ネットスケープ側にずっと意見を出していたんです」

 また、米ネットスケープの日本法人である日本ネットスケープ・コミュニケーションズには、サン・マイクロシステムズ(以下、サン)出身の社員が多く、もともとサンとの関わりが深かった瀧田氏の顔見知りが多かったことも、ネットスケープとの関係を深くさせた理由の1つだった。

 そんな中で、日本ネットスケープ・コミュニケーションズから瀧田氏にヘッドハンティングのオファーが届いたのも、ある意味自然な流れだとも言えよう。

 「いろいろ製品について文句をつけていた相手に、ヘッドハンティングされちゃったんですよね! でも、インターネットやWebは当時最も興味があった分野だったので、ぜひこのオファーを受けて、新天地でチャレンジしてみようと思ったんです」

 その一方で、5年間所属し、社外での活動も含めていろいろなことに自由にチャレンジさせてくれた東芝に対する恩義もあった。そこで瀧田氏は上司に対して、ネットスケープからオファーがあったことを包み隠さず相談する。「で、結局、お前はどうしたいんだ?」そう聞く上司に対して瀧田氏は、「技術者として、もう1回チャレンジしてみたいんです!」。

 「結果、上司は快く背中を押して送り出してくれました。このときのことは、今でもものすごく感謝していますね」

 国内大手メーカーから、外資系のインターネットベンチャー企業への転身を果たした瀧田氏。さまざまなカルチャーギャップに直面したに違いないが、実は入社前から早くも大きなギャップに遭遇した。

ALT Mozilla Japan 代表理事 瀧田佐登子氏

 「大学を卒業して新卒で就職したのが、ちょうど男女雇用均等法が施行された年で、『男女平等』というスローガンがよく言われていたんですけど、でも実際は、やっぱり女性は下に見られることが多かったんですね。そんな中でキャリアを積み上げてきた苦労は、やっぱり並大抵ではなかったものです。そのようなこともありましたから、外資系企業であるネットスケープからのオファーを見たとき、『ああ、日本と海外とではエンジニアの待遇にこういう差があるのか』とまじまじと感じましたね」

 しかし同時に、気が引き締まる思いもしたと言う。

 「これはまじめにやらないといけないぞ、と思いましたし、それなりにプレッシャーもありましたね」

 さて、こうしてネットスケープの社員としてのキャリアを歩み始めた瀧田氏だったが、ここからが同氏の半生における真の波乱万丈期の幕開けとなる。入社早々から、運命のいたずらに翻弄されることになるのだ。


 この続きは、12月14日(水)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


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