編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、田中氏の高専生活までを取り上げた。初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
田中氏は舞鶴高専3年生のとき、私物のPC-98にFreeBSDをインストールし、ついに念願だった「自分だけのUNIXマシン」を手に入れる。
UNIXマシンを手に入れたことによって、これまで学校のPCとUNIXワークステーションの環境上で熱中していたネットワークプログラミングが、いよいよ自分のマシン上で行うことができるようになったのだ。
そんなとき、田中氏は1つの衝撃的な体験をする。
「3年生の1月に、生まれて初めてMosaic(初期のWebブラウザ)が動いているところを見たのですが、『これがHTMLというものか、すごいな!』と衝撃を受けました」
田中氏が、生まれて初めてWebとの出会いを果たした瞬間だ。
早速自分のPC-98にもWebサーバを立てて、Webサイトを作ってみた。
初めのうちは、所属していたロボコンサークルのホームページなど、個人的な趣味の範囲でサイト作りを楽しんでいた同氏。あまりにも楽しいので、ついつい周囲の人間にもサイト作りを勧めている内に、いつの間にか自分が立てたWebサーバを他人にもシェアするようになっていた。
「学校の友達や教官に、『自分のホームページが持てるよ!』と紹介してアカウントを貸し出していたら、皆が喜んで使ってくれるようになって、あっという間にユーザー数が50人ほどになりました」
いわば、学内で無償のホスティングサービスを始めたわけだ。実はこれが、現在のさくらインターネットの起源となったのである。
身内の間では大好評を博したこのホスティングサービスだが、当時の舞鶴高専のネットワークは、まだインターネットには接続されていなかった。しかし1996年、学内ネットワークがインターネットと接続されることになる。「このときの感動は、いまだに忘れられません」と田中氏は語る。
「インターネットについては、実際に触れる前から教官にいろいろと教わっていたので、海外のWebサーバを見ることができるのは、理屈上は分かっていました。でも、実際にインターネットに接続されて、海外のサイトと直接つながったときには、直感的に『これはすごいぞ!』と思いましたね!」
しかし、それ以上に印象に残っているのは、「初めて外部のネットワークから自分のサーバにアクセスできたとき」だったと言う。
その年、田中氏はロボコンの全国大会に出場するために東京を訪れた。その際、空いた時間ができたので秋葉原をふらついていたら、たまたまPCショップの店頭で「インターネット体験コーナー」が設けられていた。そこで、その端末上から舞鶴高専のネットワーク上にある自身のWebサーバのIPアドレスにアクセスしてみた。
「そのとき、遠く離れた舞鶴にある自分のサーバから、今いる秋葉原の端末に応答が返ってきた感動は、言葉では言い尽くせないほどでした! 中から外が見えるだけではなく、外から自分のサイトが見えるというインターネットの双方向性を初めて実体験したわけですが、『人生においてこれを超える感動には二度と出会えないのではないか?』というぐらい、強く感動したことを今でもはっきりと覚えています」
この体験をきっかけに、田中氏はインターネットの世界にどっぷり浸かっていくことになる。
あっという間に、ネットを通じて世界中に知り合いができた。Apacheのメーリングリストを作り、日本語の技術情報を積極的に発信した。さらには、別のメーリングリストを運営していた東大の先生と共同で、Apacheのユーザー会の立ち上げも行った。高専の3年生、まだ若干18歳ながら、日本のインターネットとWebの黎明期におけるキープレイヤーの1人して、活発な活動を繰り広げた。
そんな折、ある人物から相談を持ちかけられる。後にさくらインターネットの共同創設者になる菅氏だ。同氏は、田中氏が2年生のときに設立した、ロボコンのためのサークル「電子制御研究会」に初めて入ってきた新入部員で、田中氏の1年後輩に当たる人物だ。
「菅から、『知り合いが、ホームページの置き場所に困ってる』という相談を受けたので、そこで初めて学外の人に無償でホスティングサービスを提供したんです」
これをきっかけにして、その後もインターネット上で知り合った学外の人たちにホスティングサービスを無償提供するようになった。しかし、ここで問題が発生する。
「舞鶴高専のネットワークには、『学術・教育目的の使用に限る』という利用規則があったので、学校側からストップが掛かってしまったんです。そこで、学外にサーバを置く場所を借りて、サービスを提供しようと考えたんです」
初めは無償でできると思った。しかし、外部の設備を借りるとなると、どうしてもお金が掛かる。であれば、きちんとユーザーからお金をもらって、場所と回線を借りて、サーバにもきちんと投資して、持続可能なサービスを提供した方が良い……。
こうして1996年12月、さくらインターネットは産声を上げた。
この続きは、4月20日(水)に掲載予定です。お楽しみに!
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
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