物理に挫折し、PCに目覚める:挑戦者たちの履歴書(6)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、漆原茂氏の大学入学までを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
「PC-98は持っていました。そのほかにも、何台か手に入れた覚えがあります」
1980年代のパソコンブームの真っ只中、当時東大に通う学生だった漆原氏も最新のPCを手に入れて熱中することになる。
当時、PCの一般的な遊び方といえば、市販のゲームソフトを動かす程度だった。筆者も当時、テープレコーダー(フロッピーディスクは、当時はまだ極めて高価な部品だったのだ)から何十分もかけてゲームプログラムをPCにロードして、遊んだ記憶がある。もう少しコアなユーザーになると、自身でプログラミングにチャレンジし、独自のゲームソフトを作成していた。いずれにせよ、大部分のユーザーにとっては、ソフトウェアの世界が主要な遊び場だった。
しかし、もともと中学・高校のころからソフトウェアよりもハードウェアに高い興味を示していた漆原氏。やはり大学生になっても、単にPCでゲームソフトを動かして遊ぶだけではなかった。むしろ、ハードウェアの仕組みや制御に関心があったという。
「『トランジスタ技術』などのマイコン雑誌に載っている回路図を参考にしながら、ごく原始的なロボット装置のようなものを組み立てて、それを制御するプログラムをPCで組んだりして遊んでいました」
中学・高校時代に熱中したマイコン趣味が、受験勉強による中断を経て、再燃した格好だ。いまでこそソフトウェアの分野で活躍する漆原氏だが、同氏の足跡をこのようにたどってみると、若いころに興味を示していたのはもっぱらハードウェアの世界のようだ。本人も、「わたしはもともと、ハードウェア屋なんです」と言い切る。
ところで、こうしたコンピュータ遊びの軍資金はどのようにして工面したのだろうか? やはり、アルバイトで稼いだお金をつぎ込んでいたのか?
「アルバイトはやりましたね。特に家庭教師は稼ぎが良いので、よくやっていました。あとは、飲食店で働いたりもしました。飲食店の仕事にとても興味があったものですから。牛丼店でアルバイトしていたこともありました」
東大生が牛丼店でアルバイトとは、ちょっと意外な気もするが……。しかしこのあたりに、ただのまじめな学生ではない、好奇心旺盛な漆原氏の個性が表れているのかもしれない。
では、コンピュータやアルバイトのほか、学問以外に何か打ち込んでいたことはあったのだろうか?
「仲間とよく麻雀してましたよ。それから学内の合唱サークルに所属していました。実はそこで、当時ほかの大学に通っていた家内と出会ったんです」
さすが! そちらの方面でもさぞや積極的だったのでは?
「いや、当時はまだお付き合いしてなかったんです。まさか将来一緒になるとは、当時はまだ思っていませんでした」
でもひょっとして、奥様の方はもう付き合っているとお考えだったのでは……。
「まさか、それはないですよ! でももしそうだとしたら、この記事がきっかけで家庭の平和が壊れかねないですね。危ない、危ない……」
そう言って、同氏は笑う。とにもかくにも、キャンパスライフを大いにエンジョイしていた様子がありありとうかがえる。
ちなみに東大では、入学後の2年間は教養学部で一般教養の課程を履修し、その後に専門課程の学部へ進学する制度を採っている。従って、2年生の後期になると学生はどの学部へ進むべきか進路を考え始める。漆原氏はといえば、迷わず工学部を選択する。やはり、コンピュータの趣味の延長線上で工学部を選んだのだろうか?
「もちろんそれもありますが、それだけが理由ではありません。『コンピュータの世界は、将来絶対に伸びる』と考えていたのです。もうどう考えても、絶対に伸びると信じて疑いませんでした。それに、学問的にもまだ新しい分野で、歴史も浅かったので、わたしのような若造でもベテランの研究者に勝てるかもしれないと思ったのです。まあ、実際にやってみたら、そんなに甘いものではないと思い知らされましたが……」
物理学や化学など、古い歴史を持ち、すでに確立されてしまった学問の場合、まずはいままで先人達が積み上げてきた膨大な業績を学ぶところから始めなくてはいけない。その点、まだ歴史が浅いコンピュータの世界なら、学ぶ量が少なくて済みそうだ。そして、日進月歩で技術が発達していくさまを、リアルタイムで体験できる。こちらの方が、どう考えても面白そうだし、自分に向いている。そう考えたのである。
「新しい学問に対する興味という意味では、最近の若い人たちがバイオ分野に興味を示すのと同じことだったのだと思います」
なるほど、当時いかにコンピュータが学問として目新しかったのか、よく理解できる例えだ。
この続きは、5月26日(水)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
- 学生の内にオープンソースの世界を踏み台にしろ!
- 第二次ブラウザ戦争の先にあるものとは
- Firefox成功の要因は“ブログの口コミ”
- 苦心したコミュニティとの関係構築
- 一度足を洗ったものの、再びブラウザの世界へ
- “1人ネットスケープ”になっても衰えなかった製品愛
- 聴力を失っても頑張り続けたネスケサポート
- 出産3時間前まで開発を続ける
- 結婚式の翌日には米国にとんぼがえり!
- “MOJIBAKE”を一般語化させる
- ネスケ本社のいい加減なテスト方法に驚愕
- 肌で感じた日米の“エンジニアへの待遇格差”
- 社会貢献が開いたブラウザ活動への道
- 出戻り先の東芝で出会った運命の相手
- 通勤前後に水泳インストラクターをこなす超人
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- 先輩にうまく乗せられて覚えたFORTRAN
- 不純な動機で選んだ就職先
- バスケにバイトにバンド、堪能した大学時代
- 宇宙工学を学ぶはずがなぜかバイオ方面へ
- 雪深い地の伝統校に通った高校時代
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