でっかいスーパーコンピュータを作りたかった:挑戦者たちの履歴書(7)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、漆原茂氏の大学の教養課程までを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
東大の工学部に進学してコンピュータ研究を行う道を選んだ漆原氏であったが、同じコンピュータ分野でも理論面の研究は、主に別の学部で行われていた。にもかかわらず、なぜあえて工学部を選んだのだろうか?
「例えば『いかに演算を速くするか』などといった理論面は、わたしにとっては興味の範囲外だったんです。そうではなくて、『コンピュータは実際、何に使うのか』が知りたかったのです。なので、実際にコンピュータの内部の仕組みを知ることができ、自分の手でコンピュータを作れる工学部を選びました」
同氏が東大工学部に進学したのは、1980年代中ごろ。業務用のコンピュータといえば、まだメインフレームが主流で、UNIXワークステーションが世に出てまだ間もない時代だった。当時の漆原氏も、やはり本格的なコンピュータといえば大型機、それも大学の電算室に設置されているようなスーパーコンピュータのようなものをイメージしていたという。「要するに、スーパーコンピュータを自分の手で作ってみたいと思ったんです」。
こうして工学部に進学した漆原氏、所属した学科は「計数工学科」だった。筆者のような門外漢には聞き慣れない学科名だが、一体どのようなことを研究するところなのだろうか?
「いまの言葉で言うと、制御理論や画像処理やロボット、数理、統計処理のようなことを研究するところです。『計数工学』を英語で言うと“Mathematical Engineering and Information Physics”になります。これをあらためて日本語に訳すと、数学(Mathematical)と工学(Engineering)、情報(Information)、物理(Physics)。要するに、何でもありですね。実際にやることも計測から流体力学、数理研究と実に幅広いのですが、わたしが実際にやりたかったのは、その中でもコンピュータでした」
工学部で学んだ2年間、同氏は念願だったハードウェアの研究に精を出す。ちなみに、4年生のときに書いた卒業論文のテーマは、画像処理のマルチプロセッサボードについてのものだった。
具体的には、テレビから取り込んだアナログ画像データをデジタルに変換し、それをいかに速く処理するか、それをマルチプロセッサで並列処理するには、どのような方式が効率が良く、速く処理できるか、という研究テーマだ。メッセージバスをどのように配置すればいいのか、どのようなクロック数で動かせばいいのか……。
漆原氏は手振りも交えて懇切丁寧に教えてくれるのだが、典型的な文系人間の筆者にはなかなか理解がおぼつかない。そんな筆者の様子を察知してくれたのか、「一言で言えば、画像データを並列処理するためのコンピュータを作っていたんです」や「PCの中に入っているグラフィックボードのマルチプロセッサ版をイメージして頂ければ分かりやすいと思います」と、分かりやすい例えを使って説明してくれた。
「でっかいボードの上にチップやメモリをあれやこれや配置したり、配線したりしていました。研究室の中にはそんな機器がいっぱい並べてあって、ランプがチカチカ光っている、そんな感じの風景でした」
これは漆原氏にとっては、まさに理想的な研究環境だったのではないのだろうか? 筆者は勝手にそう想像してしまった。では、工学部に入る前と実際に入った後で、さほどイメージのギャップはなかったのでは?
「計数工学という学問自体については、あらかじめ想像していたものとのギャップはほとんどありませんでした」
ただし、と同氏は続ける。本来やりたかったコンピュータ分野に関していえば、その限りではなかったとのこと。実はこの工学部時代に、その後の進路を決定付けるいくつかの考えが芽生えてきたのだ。
この続きは、5月28日(金)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
- 学生の内にオープンソースの世界を踏み台にしろ!
- 第二次ブラウザ戦争の先にあるものとは
- Firefox成功の要因は“ブログの口コミ”
- 苦心したコミュニティとの関係構築
- 一度足を洗ったものの、再びブラウザの世界へ
- “1人ネットスケープ”になっても衰えなかった製品愛
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