シャアザクに挫折し、マイコンに目覚めた少年時代:挑戦者たちの履歴書(27)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前々回からは、サイボウズの青野慶久氏を取り上げている。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
青野氏が「一生忘れられない!」という、幼少のころの“ガンプラ”(ガンダムのプラモデル)の思い出。読者の中にも、かつてはガンプラに熱中した方も多いのではないだろうか? といっても、若い方にとってはあまりなじみがないかもしれない。
テレビアニメ『機動戦士ガンダム』が初めて放映されたのは、1979年のことだ。斬新なストーリーやキャラクター設定、登場するロボットの独特なデザインなど、さまざまな魅力が相まって爆発的な人気を博した。当時の男の子たちは、もう寝ても覚めても「ガンダム、ガンダム」という状態ではなかっただろうか? 現在でも同作品の続編が放映されており、かなりの人気を博しているが、「社会現象」とまでいわれた当時の異常人気には及ばないだろう。
なお、当時の子どもたちを虜にしたのは、テレビ放映だけではなかった。同作品中に登場するロボットのプラモデル、いわゆる“ガンプラ”が、これまた異常ともいえる人気を呼んだ。何せ、模型店の店頭に並んだ途端に売り切れてしまうのだ。そのため、当時の“ガンプラ少年”たちは、お目当てのガンプラを入手すべく入荷日の朝早くから店の前に長い行列を作った。当時小学生だった青野氏も、ご多分に漏れずガンプラに夢中になっていたという。
「小学校3年生ぐらいのころにガンダムがブレイクして、4年生のころにはもう寝ても覚めても『ガンプラ、ガンプラ』でした。でも手先が不器用だったのと、性格的に落ち着きがなかったので、どうしてもうまく組み立てられないんです。忘れられないのは、日曜日の朝8時から模型店の前に並んでやっと手に入れた、当時最も人気があった『シャアザク』の腕の部品を、左右逆に取り付けてしまったんです! もうショックのあまり、自分で自分の首を絞めて死のうかと思いました!」
これはきっと幼心に、大変ショックな出来事だったに違いない……。しかし、そんな青野少年が「これは!」とひらめいた画期的な商品がこの時代に登場する。「マイコン」だ。
「子どものころから、理系の世界に惹かれていました。自然現象の理屈が理解できたときに『なるほど!』と感じられるのが面白かったんです。学校の勉強でも理系科目は得意でした。当時、『子供の科学』という子ども向け科学雑誌を講読していたのですが、もうこれがむちゃくちゃ面白くて!」
腕利きの技術者である父親の血を引いているせいか、とにかく理系の世界が大好きだったという青野氏。『子供の科学』を熱心に読みふけり、付録として付いてきた簡単な実験装置で夢中になって遊んだ。そんな青野少年が小学校高学年に上がるころ、同誌上で初めてマイコンが紹介される。
「マイコン」という言葉も、若い読者にはあまりなじみがないかもしれない。一言でいえば、現在のPCの原型のような機器である。むき出しの基盤に8ビットCPUと数十キロバイトのメモリが載った、どちらかといえば電子工作の延長線上にあるような製品だった。しかし、従来の電子工作とは大きく異なる点が1つあった。それは、ユーザーが自ら作成したプログラムを簡単に動作させることができたのである。これは、当時としては画期的なことだった。
『子供の科学』で初めてマイコンのことを知った青野少年は、あっという間に夢中になる。
「典型的な理系タイプなので、子どものころからもの作り志向が強かったんです。でも不器用で落ち着きがないので、電子工作でははんだ付けに失敗して回路をショートさせてしまうし、ガンプラでは腕を左右逆に付けてしまう。電子工作もガンプラも、1度失敗してしまうと取り返しがきかないですよね。ところが、マイコンは違う。プログラミングに失敗しても、また書き直せばいいだけ。これは当時のぼくにとっては画期的でした。自分の創造意欲を満たせる道具を『ついに見つけた!』と思いました」
この続きは、7月14日(水)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
- 学生の内にオープンソースの世界を踏み台にしろ!
- 第二次ブラウザ戦争の先にあるものとは
- Firefox成功の要因は“ブログの口コミ”
- 苦心したコミュニティとの関係構築
- 一度足を洗ったものの、再びブラウザの世界へ
- “1人ネットスケープ”になっても衰えなかった製品愛
- 聴力を失っても頑張り続けたネスケサポート
- 出産3時間前まで開発を続ける
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