アルバイト経験で世の中をナメきってしまう:挑戦者たちの履歴書(31)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、青野氏が中学生時代にゲームプログラマを目指し、挫折するまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
前回紹介した通り、中学卒業後にプロのゲームプログラマになる夢をいったんあきらめ、高校に進学した青野氏。学校の勉強に対する意欲は失っていたが、そこから転じて日本の教育制度に対する問題意識が高まり、コンピュータ支援教育(CAI:Computer Aided Instruction)の専門家になるという新たな目標を見つける。
この目標を実現するために自分にとって本当に役立つ勉強は、コンピュータと教育の分野しかない。それ以外の分野に関する勉強は、実際の仕事には何の役にも立ちそうにない……。そもそも、なぜ勉強しなくてはいけないんだ?
こうしてますます勉強に力が入らなくなっていった青野氏だったが、ここで高校1年生らしからぬある思いに捕われる。「仕事に役立つ勉強、役に立たない勉強という以前に、そもそも“仕事”とは一体何だろう? “働く”とは一体どういうことなんだろうか?」
こうなっては、もう居ても立ってもいられない。「実際に働いてみて、身をもって体験してみるしかない」。そう思い立った青野氏は、早速高校1年生の夏休みに老人ホームのボランティアに参加する。夏休みの間中、毎日老人ホームに通って仕事を手伝ったという。そのときの体験は、当時の同氏にどのような影響を与えたのだろうか?
「とても面白くて、いい勉強をさせてもらいました。でもその半面、面白くなかった部分もあったんです」
面白くなかった部分……とは?
「もともと、『“働く”とは一体どういうことか』が知りたかったので、単なる無償のお手伝いではちょっと物足りなかったんです。ちゃんとお金を稼いで、大人たちと肩を並べて働いてみたかったんです」
そこで今度は、同じ年の冬休みに、年賀状の配達のアルバイトをしてみた。2週間ほど働いて、4万円ほど稼いだという。その結果、当時高校1年生の青野氏が学んだことは、「結局、高校の勉強は年賀状配りの仕事にとって何1つ役に立たない」ということだったという。やっぱり学校の勉強は社会に出て働く際には役に立たない、その思いを一層強くする体験だったようだ。
「当時のぼくは世の中を完全にナメてましたから、郵便局の配達業務自体も『何だ、この程度の仕事で4万円ももらえるのか』といった調子でした。また、配達業務は肉体労働が主でしたから、アルバイトの分際でありながら『もっと効率的な配達の仕方があるだろうに』とずっと思っていました」
子どものころから、何事につけ非効率なやり方が我慢できなかった青野氏の性格が、ここでも表れているのだろう。しかし、青野氏はこのときのアルバイトの経験を、「これがきっかけで、ますます世の中をナメてしまいましたね」と反省交じりに語る。
「高校時代って、やっぱり仲間とつるんで遊ぶのが楽しいじゃないですか。世の中をナメてしまった結果、高校2年生以降は友達とつるんでひたすらゲーム三昧の日々でした。自宅のMSXパソコンで、3日間寝ずにゲームをし続けたこともありました。おかげでわが家はほとんどゲームセンター状態で、学校から帰宅したら友達が先に上がり込んでいて、『よお、遅かったじゃないか』と出迎えたられたことすらありました!」
ゲームをプレイするだけでなく、自らゲームを開発して雑誌に投稿したりもしていたそうだ。賞をもらって賞金を手に入れたこともあるそうだから、相当高い開発スキルを持っていたのだろう。一体、どんなゲームを作ったのか?
「トランプの『大富豪』をコンピュータと対戦できるゲームを開発したことは覚えています。あと、『枕投げゲーム』なんていうのも作りましたね。これは、プレーヤーがお互いに枕を投げ合って、それをしゃがんで避けたりするゲームなんですが、相手側に投げた枕は、その後ちゃんと相手側が拾って投げ返せるようになっているんですよ! 当時は面白いと思って作ったんですけどねえ……」
枕投げをゲームにしてしまうという発想は、いかにも高校生らしくて斬新だ。ぜひ1度プレイしてみたいものだが……。
「でも、ぼくにはゲーム開発のセンスはあまりなかったと思います。結局、面白いゲームを作るためには、プログラミング技術よりも企画やコンセプトの方が重要なんですよね。自分でもそのことには、もう高校生のころからうすうす気付いていたと思います」
この続きは、7月26日(月)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
- 学生の内にオープンソースの世界を踏み台にしろ!
- 第二次ブラウザ戦争の先にあるものとは
- Firefox成功の要因は“ブログの口コミ”
- 苦心したコミュニティとの関係構築
- 一度足を洗ったものの、再びブラウザの世界へ
- “1人ネットスケープ”になっても衰えなかった製品愛
- 聴力を失っても頑張り続けたネスケサポート
- 出産3時間前まで開発を続ける
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