“若大将”に憧れて慶応を目指すも敗退……:挑戦者たちの履歴書(77)
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、ジュニパーネットワークス社長の細井洋一氏の中学生時代までを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
小学4年生のときに初めてスキーと出会い、すっかりその魅力の虜になった細井氏。そんな同氏が少年時代に夢中になった映画が、加山雄三主演の『アルプスの若大将』だった。当時、若者たちの間で絶大な人気を誇った加山雄三がスキーを題材として取り上げた映画とあって、細井少年が飛び付いたのも無理からぬことだった。
「映画の中の設定では、加山雄三演じる主人公は『京南大学』のスキー部に所属していたんです。そこで僕も、『将来は、加山雄三のように京南大学に進学してスキーをやるんだ!』とずっと思ってたんです」
ところが、この京南大学というのは、映画の中にしか存在しない架空の大学だ。実際には、加山雄三は慶応義塾高校から慶応大学に進学している。細井少年がこのことを初めて知ったのは、もう中学生活も終わりを迎えようとしているころだった。当時の細井少年は、このとき「だまされた!」と叫んだという。でももう、こうなったら慶応に行くしかない。
「当時はもう、加山雄三と同じ慶応に行くことしか考えてなかったから、進路相談で先生に『慶応に進学したい』と言ったら、『ばかなこと言ってるんじゃないよ!』と一笑にふされました。何せ、勉強なんてまったくしてなかったからね」
このような状況だったため、高校受験までもう時間がなかったが猛勉強を始めた。母親のつてで、慶応志木高校の教師を紹介してもらい、勉強を直接教えてもらうために埼玉の志木市まで通った。しかし、さすがに時すでに遅しだった。慶応高校を受験したはよいものの、結果は案の定不合格。
結局、都立竹台高校に進学した。高校の同級生には、現在タレントや俳優、画家として活躍している片岡鶴太郎がいたという。
「中学校は九段中学という進学校に通ってたんですが、竹台高校は一転してやんちゃな生徒が集まっている学校でしたね。2年生のときの修学旅行で、皆でこっそり隠れてタバコや酒をやってたのがばれて、何と男子生徒のほとんど全員が謹慎をくらいました。でもまったく懲りることなく、『謹慎のおかげで学校に行かずに済む、やったー!』って皆で喜んだりしてね!」
こんな環境の下、細井氏生来のやんちゃ坊主ぶりが遺憾なく発揮された高校時代。いまだに、当時の同級生とは定期的に会って、昔話に花を咲かせているという。ただし、これまでとは異なる点が1つだけあった。細井氏はここで生まれて初めて、勉強にまじめに取り組み始めるのである。全ては憧れの加山雄三と同じ、慶応大学に入学してスキーに打ち込むためだ。
「中学時代から引き続き慶応志木高校の先生の下にも通って、高校3年間みっちり勉強しました。それに、『あの有名な九段中学から来た』という目で周りから見られると、意識して『あ、勉強しなくちゃいけないのかな』なんて思ったりしてね」
その結果、成績は常に学年で上位一桁をキープ。「何だ、やればできるじゃないか!」。細井少年は、夢の慶応大学入学に向けて自信を深めていった。
その一方で、スキーにも相変わらず打ち込んでいた。細井少年のアイドル加山雄三は、慶応大学在学中に国体にも出場したことがある、れっきとした競技スキーヤーだ。きっと当時の細井氏の頭の中では、映画の中で華麗なシュプールを描く加山雄三の姿が常にイメージされていたに違いない。
ちなみに、1年生のときには野球部にも所属していた。しかし、きつい練習が嫌で嫌で仕方がなかったという。
「今では考えられないけど、当時は真夏の炎天下の練習でも、水を飲んではいけなかったんですよね。倒れて口の中に砂利が入ったとき、それをゆすぐついでにこっそり飲めるぐらいで。それが嫌でねえ」
そんな折、細井氏は人生の転機となるイベントを経験する。大阪万博だ。
この続きは、1月26日(水)に掲載予定です。お楽しみに!
著者紹介
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
- 学生の内にオープンソースの世界を踏み台にしろ!
- 第二次ブラウザ戦争の先にあるものとは
- Firefox成功の要因は“ブログの口コミ”
- 苦心したコミュニティとの関係構築
- 一度足を洗ったものの、再びブラウザの世界へ
- “1人ネットスケープ”になっても衰えなかった製品愛
- 聴力を失っても頑張り続けたネスケサポート
- 出産3時間前まで開発を続ける
- 結婚式の翌日には米国にとんぼがえり!
- “MOJIBAKE”を一般語化させる
- ネスケ本社のいい加減なテスト方法に驚愕
- 肌で感じた日米の“エンジニアへの待遇格差”
- 社会貢献が開いたブラウザ活動への道
- 出戻り先の東芝で出会った運命の相手
- 通勤前後に水泳インストラクターをこなす超人
- UNIXに一目ぼれし、ゼロックスへ転職
- 先輩にうまく乗せられて覚えたFORTRAN
- 不純な動機で選んだ就職先
- バスケにバイトにバンド、堪能した大学時代
- 宇宙工学を学ぶはずがなぜかバイオ方面へ
- 雪深い地の伝統校に通った高校時代
- とことんやり、スパッと見切りをつける
- とにかく頑固でわが道を行く少女時代
- “王者IE”に挑み続けた反骨の母
- 非連続的な成長で1000億円企業に
- 奥さまは社員第一号
- 一番やりたいのは“無限にスケールできるPaaS”
- 絶対的な競争力の源泉は“ライセンスコスト”
- 大口解約でもびくともしない経営体質へ
- データセンターがダウンした年末
- インターネット企業ならではの乱高下
- 会社を救うため、数千万円の多重債務者に
- 手を広げ過ぎて、上場後すぐに地獄へ
- “郷に入れば、郷に従わず”に失敗
- 弱冠27歳で東証マザーズ上場を実現
- 従業員の給料をATMで自ら振り込む修羅場
- 一時の気の迷いで“受託の麻薬”に手を出す
- “自転車操業”で、創業期を何とかしのぐ
- マニアにターゲットを絞った戦略が功を奏す
- “さくら”の由来に拍子抜け
- アキバで感動し、18歳でさくらを立ち上げ
- “三股”で多忙を極めた5年間
- 入学早々“校歌しばき”の洗礼を受ける
- 関西と関東の文化の違いにがくぜんとする
- 中学で同じ趣味のマニアに出会う
- 電気工作に明け暮れ、将来の夢は“エンジニア”
- 乗り鉄で“一筆乗車”にハマった幼少時代
- 日本のインターネット黎明期を築いた未成年
- これからの若者は絶対海外へ出るべき!
- 日本企業には“変わる勇気”が必要
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.