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Winny事件判決の問題点 開発者が負う「責任」とは寄稿:白田秀彰氏(3/3 ページ)

» 2006年12月17日 09時44分 公開
[白田秀彰(法政大学),ITmedia]
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 (γ)の点について。ソフトウェアには「言語による作品」という側面がある。そこで、殺人の方法や自殺の方法についての書籍の著者が、その本に依拠して行われた殺人や自殺についてまで責任を負うのか、という例が気になるだろう。また、ソフトウェアが「製造物」であると考えるならば、銃の製造者は、銃に関連した犯罪一般の責任を負うのか、という例が気になるかもしれない。(β)で述べた「概括的な幇助の故意」で幇助になるなら、それらの書籍の著者や銃の製造者もまた責任を負うことになりそうだ。しかし、実際には、「本の記述・銃の製造→実行者の意思→実行者の行為→結果」という関連のうち、判断能力、すなわち責任能力のある「実行者」の存在が「本の記述・銃の製造」と「結果」の連鎖を断ち切る役割を果たしている。ある思想や道具が先行していたとしても、意思し行為しているのは実行者本人であるということだ。

 ところが、本件では、上記の例に似た状況において幇助の成立を認めているわけで、これは、ソフトウェアというものが、その開発者の手もとを離れてもなおかつ開発者の「意思」を反映し「行為」するモノであるという認識が反映しているように思われる。すなわち、上記の例でいう「結果」は、ソフトウェア利用者の意思や行為のみならず、ソフトウェア開発者の意思や行為からもまた生じているのだとみているようだ。事実そのようなものであると考えることも不自然ではない。事実、ソフトウェアを「実行」するところまでは、ソフトウェア所有者の「意思」だが、プログラムされた細かな動作命令は、まさにソフトウェア開発者の「意思」の実行とみることができる。たとえれば自ら動作実行する書籍のようなものだ。また、このように考えれば「幇助とは犯罪行為の実行時にその実行を容易にする行為だ」というこれまでの幇助概念とも調和する。

 しかし、このようなソフトウェアに特徴的な性質を理由とした区別が、本件において採用されることが妥当であるか疑問である。

 そこで、まとめれば、本件において裁判所は、(1)世上極めてよく知られたモノについては、その製造者がそのモノの社会的影響について責任を負うべきであること、(2)あるモノを用いた犯罪行為が蔓延していることを前提とするなら、そのモノの配布に「概括的な幇助の故意」が認めうること、(3)利用者が実行するソフトウェアがもたらす結果には、ソフトウェア開発者の意思や行為の要素も関与しうること――を認めているのではないか。これらがこれまでの理論を変更している部分で、問題点となる。だから、この点をとくに問題にするなら「不当判決」と言いたくなる気持ちもわからなくはない。でも、無理で不当な解釈かといえば、「うーむ……」と考え込んでしまうわけで、それゆえ私の見解は「しょうがないねぇ……判決」ということになる。

 さらにいえば、何を理由に罰金150万円が妥当なのか、根拠がサッパリわからない。これでは、金子氏有罪を前提としてあまり厳罰にならないように配慮した人情判決が出されたのではないか、と邪推されても仕方がないだろう。

 とはいえ、金子氏と弁護団が一心に訴えただろう、Winnyの技術の中立性や、技術開発それ自体の意義については、判決骨子のなかでも盛んに強調されており、その意味では、本判決がWinnyを断罪したものでも、技術開発に否定的な態度をとったものでもないこともまた強調されなければならないだろう。だから、金子氏本人も弁護団も、二の丸と三の丸(技術の中立性・社会的価値)では果敢な防御戦を展開し、場合によっては討って出るほど大戦果を上げたものの、肝心の本丸(幇助に関する法律論)の防御が手薄だった……といえるのではないか。

 それゆえ、今後の控訴審において「Winnyの技術自体は社会的有益で問題がないんだ! だから無罪なんだ!」と同じ戦略で金子氏や弁護団が攻めても、判決を覆すことは難しいのではないかと推測する。ネチネチとした「幇助概念」に関する法律論で攻めて「本件ではそれが不当に拡張されている」と裁判官を説得するしかないのではないだろうか。また、本判決を我々が理解するに当たっては、「特殊な社会的影響力と評価のもとにあるソフトウェアについての個別的な判決」と理解し、本判決の理由付けを他の領域たとえば思想・表現や他の分野の製造物一般に拡張しないように留意することが重要だろう。

 さて、最後に金子氏の名誉の回復について。続く裁判において金子氏が勝訴すれば、もちろん彼の名誉回復が成るわけだけど、仮に有罪が確定してしまったとしても、私は、彼が一般的な意味での「犯罪者」だとは考えない。彼自身が著作権侵害をしたわけではないし、罪名となる「幇助」に該当するかどうか限界的な事例であるからだ。冒頭に書いたように、私自身も現行著作権制度に対する批判をあちこちで書き散らしている。もしかするとその影響は──Winnyほどではないにしても──それなりにあるかもしれない。社会のあり方や法律や制度について批判的に語ることは、政治的自由においてもっとも保障されなければならないことだ。法律や制度に対する言論表現の自由は、文句や不満があっても黙っていることの多い日本社会においては、積極的に奨励されていいくらいだと考えている。

 私は、金子氏がWinnyにおいて成功したゆえに「手段」を誤ったとみる。そして本判決は、その「手段」を批判している。君子は誤れる所を正すのに速やかであるという。私は、金子氏が裁判所という不慣れな領域で勝負するよりも、著作権に関する新しいビジネスモデルを具体的に提示し実現することや、政治的な言論として自論を展開し運動化するほうが有意義であると考えるし、そうすることが結果的に彼の名誉をよりよく回復しうると考える。

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Winny | 著作権 | 法律 | 著作権侵害


白田秀彰さんのプロフィール

 大学紛争のころ生まれ。九州の工業都市で有害物質に負けない強い体作りを推進し、成人のころ克服。福岡の予備校を経て国立市(東京都)にある大学の法学部に入学。以来ずっとその周辺をウロウロし続ける。大学生のころパソコンにズッポリはまり、システムのチューンを趣味とする。学部と趣味を調和するテーマとして「情報法」を専攻。失敗したらニート生活をする覚悟で大学院進学。首尾よくコピーライト制度発達史をネチネチと描いた「コピーライトの史的展開」を執筆。20世紀の末、幼い頃の夢を達成し博士となるが、希望していた工学博士ではなく法学博士だった。法政大学社会学部に採用していただき、以来教育活動に邁進する。ネット界でも積極的に発言する覚悟っぷりに「電波助教授」の肩書きをいただく。その勢いで「インターネットの法と慣習」を出版したら、予想外に売れてびっくり。もう後戻りできない雰囲気で突っ走る、ちょっと特殊な法学教師。


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