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SEから世界一に返り咲き 「TED 2013」に唯一出演した日本人・BLACKさんのヨーヨーと“再起”(1/3 ページ)

» 2013年06月07日 14時36分 公開
[岡田有花,ITmedia]

 「14歳のころ僕は、自分に自信がありませんでした。自分には何の才能もないと思っていました」

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 羽織袴姿の男性が、英語でこう切り出した。今年2月に米カリフォルニア・ロングビーチで開かれた、世界的なプレゼンテーションイベント「TED」。オーディションを勝ち抜いた唯一の日本人、BLACKさんだ。

 とつとつとした英語で、自らの経験を語る。小さいころから不器用で、運動が苦手だったこと。14歳でヨーヨーに初挑戦したが、一番簡単な技さえできなかったこと。あきらめずに練習を続け、18歳で世界チャンピオンになったこと。世界一になっても社会から評価されず、生活は何も変わらなかったこと。

 失意のまま大学を卒業し、SEとして就職したが、情熱を傾けられず会社を辞め、ヨーヨーを再開したこと。苦手だったダンスにも取り組んでパフォーマンスに磨きをかけ、再び世界チャンピオンに返り咲いたこと。

 「僕がヨーヨーから学んだことは、大きな情熱を持って十分な努力を積めば、何事も不可能ではないということです。僕の情熱をこめたパフォーマンスを、見ていただけますか?」

 世界一のヨーヨープレイが始まった。勇壮な曲に合わせ、体の一部であるかのようにヨーヨーを操るBLACKさんのフォーマンスに聴衆は釘付けに。約5分半のプレイが終わるや否や、スタンディングオベーションがわき起こった。

 世界チャンピオンになっても「全く変わらなかった」という彼の人生は、この日を境に一変した。

クリントン元大統領、U2ボノも登壇 「TED」とは

 TEDは、価値あるアイデアを広めることを活動目標に、1984年にスタートした米国の非営利団体。「テクノロジー」「デザイン」「エンタテインメント」の頭文字を取った名だ。

画像 TED公式サイト

 米国カリフォルニア州モントレーで毎年行っている講演イベント「TED Conference」では、文化や芸術、科学、ITなど各分野で、いま世界を変えようとしている人たちが登場し、プレゼンテーションで経験やアイデアを披露する。

 当初は身内のサロン的なイベントだったが、06年から講演動画をネットで無料公開するようになり、世界的に知名度が拡大。12年には日本の地上波(NHK Eテレ)で、TEDのプレゼンテーションから英語を学ぶ教養番組「スーパープレゼンテーション」も始まり、国内でも注目が高まっている。

 元米大統領ビル・クリントン氏、Wikipediaの創設者ジミー・ウェールズ氏、U2のボノ……TEDに登壇した世界的著名人は数え切れない。今年もGoogleの共同創業者サーゲイ・ブリン氏や、ダイオウイカの撮影に世界で初めて成功した研究チームのメンバーなどそうそうたる顔ぶれが登壇。彼らに並んだ唯一の日本人がBLACKさん。「何もやってもダメだった」という子どものころには想像もつかなかった大舞台に立った。

 「ヨーヨーの社会的評価を変えたい」。そんな願いは、TED登壇を境に、実現に近づいてきたという。

「何やってもダメだった」

 小さいころのBLACKさんは、不器用でスポーツも苦手だった。雑誌の付録で付いてきた段ボールのロボット組み立てすらうまくできず、走るのは遅く、泳ぐのも苦手……。友達作りも下手で、孤立していったという。唯一の“友達”はテレビゲームだったが、それもうまくなかった。

画像 ハイパーヨーヨーの公式サイト

 「何やってもダメだと思ってた。自分がうまくなれるものが1つぐらいはないか、探していたんだと思う」

 ヨーヨーと出合ったのは中学3年生の夏休み。バンダイが子ども向けに発売し、一大ブームを巻き起こした「ハイパーヨーヨー」の広告を「コロコロコミック」で見て興味を持ったのがきかけだ。最初はまっすぐに投げ下ろすこともできなかったが、めげずに1週間ほど毎日練習を続けるうちに、基本の技ができるようになった。

 「不器用な自分でも、ヨーヨーだけはいけるかもしれない」。面白くなったBLACKさんは、毎日練習を続け、少しずつうまくなっていった。基本の技をマスターすると、バンダイが開いていたヨーヨー技術の認定会に参加したり、世界のヨーヨーパフォーマーが演技を披露するイベントを見に行き、技術を高めていった。

 「いつか世界一になりたい」。そう夢見ていた。

自ら“いばらの道”選ぶ 教科書はネット動画

 当時、日本で人気だったのは、ヨーヨー2個でプレイする「ダブル」。BLACKさんも当初はダブルを練習していたが、ある時ヨーヨーイベントで、1個でプレイする「シングル」のデモンストレーターの演技を見て衝撃を受た。

 「全然知らない、難しくてかっこいい技だった」――BLACKさんはこの日を境にシングルプレイヤーに転向。日本でシングルを極めようとする人は珍しく、仲間や教えてくれる人も少ない“いばらの道”だったが、父に借りたビデオカメラで撮影したシングルのデモンストレーターの演技を繰り返しスロー再生しながら技を盗み、覚えていったという。

 2000年ごろにはインターネットが徐々に普及し、ヨーヨーのプレイ動画をネットに公開する人も出ていた。当時、BLACKさんの家には動画をダウンロードできる高速回線はなかったが、“ヨーヨー仲間”の大人が、最新の技の動画をすべてダウンロードしたノートPCを丸ごと貸してくれ、それを見て海外の新技もマスターしていったという。

世界大会で優勝 でも人生変わらず

 高校を卒業する年の3月末、全国大会で優勝。大学1年生の夏に世界大会も制覇した。だが「何も起きなかった」。

 取材されることもなく、テレビに出るわけでもなく、仕事が殺到するわけでもない。あまりに何も変わらず、無気力になったという。「世間から注目されたいがために優勝したわけじゃなかった。でも、どこかで期待してた自分がいたんだろうと思う」

 目標も見失った。ヨーヨーの世界は、世界チャンピオンが頂点。それより「上」はない。目指すべきものを見失い、無気力になる「世界チャンピオン病」にかかったという。

 あるイベントが転機をくれた。偶然見た「大道芸ワールドカップ」だ。ヨーヨーの世界では、“ヨーヨーオタク”に受ける細かな技巧が競われるが、大道芸は違う。“大道芸オタク”ではなく、一般客を楽しませている。

 「大道芸ワールドカップの出場者は、ヨーヨー世界チャンピオンの僕よりよほどお客さんを楽しませている。このままではヨーヨーに未来はないとすら思った」。一般の人も楽しめる、パフォーマンス性・芸術性の高いヨーヨーを追求しようと目標を定めた。

 人生の岐路も迫っていた。就職だ。

世界チャンピオンからSEに 「死んだも同然」

 「おれ、世界チャンピオンなのに就活するの? なくね?」――そう思いながらも「とりあえず」就職活動をし、1社目に内定を得たシステム開発企業に就職を決めた。在学中から、出演料をもらってヨーヨーパフォーマンスすることもあったが、生計を立てられるほどの金額ではない。大学を卒業し、会社員とヨーヨープレイヤーの二足のわらじ生活が始まった。

 1年目は余裕があったが、2年目からは地獄だった。会社のメインプロジェクトに配属され、連日終電で帰り、2〜3時間睡眠でしのぐ日々。ヨーヨーの練習をする気力も失われ、「このまま会社員生活を続けるのは死んだも同然。生きている意味がないとすら思えた」。

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