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「マイルドヤンキー」論への違和感 “再発見”する東京の視線と、大きな物語なき後のなにか(2/5 ページ)

» 2014年05月23日 14時29分 公開
[堀田純司ITmedia]

 特殊漫画家の根本敬さんは、90年代前半に、日本人の9割はヤンキーとファンシーでできていると語っていた。故ナンシー関さんがこの言葉を再確認していたが、根本さんはこのようにも言っている。

 もっとも思い知らされたのは、自分たちや、その界隈の人々が、普段漠然としながらも信じている東京(特に港区、渋谷区、新宿区、目黒区、杉並区、品川区)の常識イコール日本の常識というのが、まったくの幻想だということ。ウォーターフロントなんてフィクションだ。幻だ。妄想だ。トレンドもファッションもまったく関係のないところで生きている日本人のほうが、圧倒的にマジョリティ(多数派)なわけ。(「人生解毒波止場」1995年・洋泉社、太字原文ママ)

 ちなみに根本さんはこのことを、上野の花見のどんちゃん騒ぎを目撃して、思い知らされたのだそうだ。

 だが、だからといってこうした風土を批判していたわけではなかった。むしろトレンドやファッションを追いかけ、どんどんきれいごとになっていく世の流れに嘘くささを感じ、そうしたきれいごとの世界観が否定する日本の伝統的な土俗の方にこそ、圧倒的なリアルを感じていたのである(※注1)。

 私にはその感覚がよくわかる。そしてそうした事情は、21世紀の今でも実はほとんど変わっていないと思う。

 私は南部大阪の出身だが、先日、20数年ぶりに中学時代の同級生と会った。その時に聴いたのだが、もはや40歳を越えたごく普通のサラリーマンの彼の元には、今でも地元のLINEのグループから「あいつシバくから集まれ」といったメッセージが届くという。「東京勤務なので行けません」と返信するハメになるそうだが、「マイルドヤンキー論」というのはこうした日本のリアルを勝手に見失い、勝手に発見した気分になっているだけではないかと感じるのだ(※注2)。

 「クール・ジャパン」などとは言うが、この言葉がどこか胡散臭いのは、こうした日本の9割を占めるリアルに目を向けていないからではないか。


※注1)ヤンキー+ロック、すなわり「ヤンクロック」を提唱していた、氣志團の綾小路翔さんも、きっと根本さんと同じ感覚でいたことだろう。

※注2)ちなみにその「シバく理由」は中学時代に自分の彼女に声をかけたとか、そんな感じの因縁だったという。まるでリアル「莫逆ファミーリア」だ。正直、私は「故郷を出てよかった」と思ったものだった。私にはダニー・ボイル監督の「トレインスポッティング」の主人公の気持ちがよくわかる。

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