もちろんデータサイエンティスト側も「分析だけすれば良い」わけではなく、業務知識を学んだり、分析を利益につなげる仕組みを作ったりする必要があります。社内のルールや仕事の進め方を理解した上でデータ分析施策を考えなければ、現場を知らないお勉強だけが取り柄の先生扱いです。他の社員と一緒に業務で使える施策を考えることが重要であり、それが出来なければ人は離れていきます。
弊社では業種業態を問わず「データサイエンティストを採用したい」という相談をいただきますが、採用よりもデータサイエンティストを生かせる環境や組織、体制を整える方が重要です。
採用は終わりではなく、スタート地点だと認識しましょう。データサイエンティストは「データ分析の専門家」であって、コンサルタントのように組織を変革することはできないのです。
間もなく平成も終わりますし、いつまでも昭和の仕事観を引きずってはいけません。「環境変化に対応できる組織が生き残る」とよくいわれるように、新しい職業が登場したらそれに合わせて働き方を変える必要があります。
話は冒頭に戻りますが、ボヘミアン・ラプソディでは、約6分という長尺で常識やぶりな楽曲が生まれるシーンがあります。新たな挑戦によって誕生した曲は「ラジオで流されない」という反発をものともせず、大ヒットしました。いまや常識となったプロモーションビデオの先駆けでもあります。
また、フレディ・マーキュリー自身はインド生まれの英国移民であり、メンバーも博士号を持つ高学歴という異色の経歴です。もしフレディとクイーンが代わり映えしない音楽を作り続けていたら、死後数十年たって映画が製作されたでしょうか。枠に収まらない人物だからこそ、歴史に名を残すミュージシャンとなったのです。
かつては日本の電機メーカーでも、異端とされた技術者が画期的な製品開発をし、イノベーションを起こしました。
東芝でフラッシュメモリを発明した舛岡富士雄氏、シャープで電卓や液晶事業を興し「ロケット・ササキ」と呼ばれた佐々木正氏、任天堂との共同開発をきっかけにゲーム機市場へ参入したソニーの久夛良木健氏など、いわゆる「とがった人材」です。列挙はしませんが、久夛良木氏の発言と先見の明は、いちユーザーから見ても実に“ロック”でした。
とがった人材も許容する懐の深さは、日本の製造業における強さと魅力だったのではないでしょうか。
多くの技術者が在籍する会社に、少しぐらいフレディ・マーキュリーのようなロックな人材がいても良いではありませんか。かつて世界を変えたのは、ロック・ミュージシャンでした。いつかの将来に「世界を変えたのはデータサイエンティストだった」と語られる世界を願っています。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR