日産GT-Rについては、2007年暮れにデビューしたことは知っていたが、値段は高いし、もう、1990年代に一世を風靡したスカイラインGT-Rとは別モノだし……で、あまり身近に感じてはいなかった。むしろ自分に関係のない車種という認識だったといってもいい。
しかし、この2010年の出会い(というか「いじり?」)をきっかけに、さらには後の水野氏とのインタビューを通じて、日産GT-Rという車に、強い物語性を感じるようになってしまったのだ。
一連の騒動で、今でこそあまりイメージのよくない当時の日産の社長、カルロス・ゴーン氏だが、2000年代初頭に立ち上がった日産GT-Rの開発に関しては、このゴーン氏主導の肝いりプロジェクトとして立ち上がった。いわばゴーン氏自身がプロデューサーの立場を務めていた。
水野氏によれば、最初、ゴーン氏から直接「日産GT-Rはお前が作れ」と命令されたそうだが、その時「お断りします」と応えたという。意外な返事に驚いたゴーン氏は「なぜだ?」と聞き返したそうだが、「今の日産の体勢で作ったとしても世界に通用するスーパー(スポーツ)カーなんて作れるはずないからです。やるだけ無駄です」と返答したらしい。
普通ならばゴーン氏からエヴァンゲリオンの碇ゲンドウばりの「じゃあ、もういい。出ていけ」の一言で終わりそうな話だが、ここでゴーン氏から意外な提言が出たそうだ。「だったらお前が好きなようにやれ。不都合が出たら、俺の名前をふんだんに使え」といったそうだ。ゲンドウとは大違いである。
この他、水野氏から聞いた開発秘話的なエピソードは、いずれ本連載で紹介していくこともあるかとは思うが、今回はここまでとする。
その後、水野氏は、GT-R開発に着手。以前より暖めていたアイデアを具現化していくことになるのだが、まるでドラマのような話が続く。前述した馬力、タイヤ、車重などはそのほんの一部のエピソードになる。ボディー、エンジン、足回り、駆動システム、あらゆる車両の構成部位においてそうしたエピソードがあることを知らされた筆者は、以降、「一体どんな車なんだろう?」と興味を沈めることが出来なくなってしまったのである。
そこから約2年後、筆者は、最初の日産GT-Rを手に入れることになる。
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