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補償金制度廃止論にまつわる明と暗小寺信良(4/4 ページ)

» 2005年09月20日 00時00分 公開
[小寺信良,ITmedia]
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何が起こり、何が起こらないか

 仮にこの補償金制度が廃止へと向かった場合、権利者団体は著作権第30条とともに心中するつもりだ。つまり、私的複製を全く許さないよう、潤沢な資金を使って現行法の改正へ動き出すだろう。もちろん30条には、テレビ録画も紙コピー機による複写もいっしょくたに含まれているので、音楽だけの事情で全廃できないだろうが、例外を追加するという形は有り得る。

 補償金制度を廃止することで、消費者にどんなメリットがあるのかを考えるのは、非常に難しい。例えばデバイスやメディアの金額が下がると考えているのであれば、それはないだろう。上記のような経緯から考えれば、元々販売価格に補償金が含まれていると想像しないほうがいい。

 むろんその内訳はメーカー次第ではあるが、現在でも補償金の有無で、メディアの実勢価格には差がない。逆に補償金制度の廃止によって価格を下げなければならなくなるとしたら、メーカーは元々そんな金額は含まれておらず、実は最初から我々が払っていたのだと主張するだろう。補償金制度を廃止することで、消費者には実質的なメリットはほとんど何もない。

 そうなのだ。この問題の本質は、消費者不在のままで非常に多岐に渡って手足を伸ばしており、筆者も本稿で、関連するすべてのことに対して言及しきれない。

 例えばここまで権利者と一口に呼んできたが、実際の著作権者はその作品を作った個々のアーティストである。ここで言う権利者とは、それらアーティストではなく、その著作権の管理を委任されている団体を指している。JASRACやSARAHなどは、著作権者の権利執行を代行しているにすぎず、本当に著作権者の意向がその行動に反映しているのかという問題についても、考えなければならないだろう。

 また現行の補償金制度は、DRMなど著作権保護技術の存在を無視している。これと補償が、著作権法上どう関係していくのか、またどうバランスを取るべきなのかの議論も必要だ。

 さらに自分が購入した音楽の私的複製を制限し、それに対して課金することは、財産権の侵害にあたるという考え方も存在する。筆者は今までそういう観点でこの問題を考えてみたことがなかったので、まず財産権とは何かというところから勉強しなければならず、まだまだそれに関して書くには先が長い。

 そして今後、音楽の販売が物理的実態を持たないデータ販売に移行した場合、音楽を聴くことと、デジタルコピーすることを分離することができない時代が到来する。そのとき、現行の著作権法は破綻してしまう。

 一応筆者が考えつくだけの要素を羅列してみたが、これ以外にも抜けている視点はまだまだあるだろう。

 もちろん、腐敗やもたれ合いの構図、意味を持たない返金制度や利益分配の矛盾が存在すること自体が社会悪であるとして、純粋な正義感から廃止すべきとの意見を小委員会に送るのは、正しいことである。あるいは僕らの大好きなApple社を悪の手から守れ、という行動原理もアリかもしれない。法で決まった原則論で行くべき、という主義もありかもしれない。しかし一時的なムードや、なんかおいしいことがあるかも、という期待で廃止に傾くのであれば、別のリスクが発生する可能性があるということは、知っておいた方がいい。

 またそれとは別に、「そんなこと知りたくない、ボクは今までどおり楽しく音楽が聴ければそれでいいんだぁ」と耳をふさいでしまうという選択肢もある。ただその場合、変な方向にモノゴトが決まって、「えーボクはそんなはずじゃなかったんだ、補償金ハンターイ」などと後から言いだしても遅い。

 一人の人間が、すべてのパワーバランスを考えて方向性をひねり出すのは不可能だ。そう言う意味では小委員会ですら、我々消費者に下駄を預けてしまったのである。よって皆さんが小委員会に意見を提出するのなら、それぞれ自分の立ち位置で書けばそれでいい。そしてそれが現状のパワーバランスにどう影響を与え、どんな新しい秩序が生まれてくるのかは、もはや成り行きを見守るしかない。

 いずれにしても、我々が考えてモノが言えるのは、10月7日までだ。時間は、あまりない。


小寺信良氏は映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。

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