手当たり次第に本を読んだとお話ししましたが、人によってはそうして読んでいくうちに、ある本や考え方にはまっていくこともあるでしょう。それが必ずしも、自分にとってよいものであるとは限りません。
しかし、本に限らないことですが、「出合い」はすべて、その人のふだんの生き方の反映です。
本ではなくラジオで考えるなら、その人の「周波数」で、聴く番組、出合うものが変わってきます。生き方がひねくれた人は、その周波数に合ったものに出合い、反応します。それは、しょうがないことでしょう。私はそれも悪いことではないと思っているのです。
例えば、だまされて初めて、世の中の現実を知るということがあります。
だから、すべては学びのプロセスとして、だまされたりひどいことをされたり、親切な人に出会ったり、いろんな体験があるわけですよね。
そのすべての体験が人生だから、どれがよい悪いというレッテルを貼らないほうが楽しめるんじゃないかと思います。
いいものだけしか欲しくない、出合いたくないと思うのは当然です。でも、特に20代は、あとで不必要なもの、無駄だと思うものにも出合ってみてもらいたいものです。
自分にとっていいかどうかを吟味するよりも、とりあえず、本でも仕事でも、人でも、それに触れてみることで分かることがある。人に裏切られた痛みを体験すると、人の信頼を何よりも大切にしようと考えるようになるでしょう。すべて、無駄なことはないと思うのです。
私は子どもの頃から本が好きで、20代には、それこそ数えきれないくらい本を読みました。いつのまにか読む立場から書く立場になりましたが、本を書くときには、できるだけ断定しないように心がけています。何が正しいとか間違いとかいうのは、私の本の中には一切入っていないはずです。
なぜかといえば、それを決めるのは、それを読む本人だと思うからです。
何が正しくて何が間違いかというのは、「自分」が決めることであって、誰か他の人が決めることではありません。また、別の言い方をするなら、物事を正しいかそうでないかだけでとらえないことも大事です。
10人いれば、そこには10通りの真実があります。10通りの幸せもあるわけで、まわりがとやかく言うことではありません。
20代は、とかく批判的になりがちで、誰かと会うと「あの人のここはダメだな」などと傲慢(ごうまん)に判断してしまう。でも、一旦受け止めたうえで、自分がどう感じるのか、じっくり見てみましょう。
それは本でも同じことです。どんな本を読んでも、そこに何が書いてあるかよりも、自分がそれを読んでどう感じたか、ということに意味があります。
自分にとって、その本がどれだけインパクトがあったのか、あるいは、なかったのか。それを記憶しておくこと、胸に刻みつけることが、自分の生き方や夢を見つける「出合い」になると思うのです。
(次回は「質問力を鍛える」について)
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