日本のように、「安倍政権は史上最悪だ」なんて言論活動をしていたジャーナリストがある日を境に急に、「政策は知らないけど、当選したあかつきにはイチから勉強するから大丈夫だって」なんて出馬をするノリとはだいぶ事情が異なっているのだ。
なぜ日本のジャーナリストは、まるで将棋の「歩」が「と金」に変わるようにパタッと「政治家」に生まれ変わることができるのか。なぜ「ペンは剣より強し」という理念がどっかにすっ飛んで、「出馬はペンより強し」と言わんばかりに街頭演説で喉をからすことができるのか。
その謎を解くカギを、ある大物ジャーナリストがおっしゃっていたので引用させていただこう。東洋経済オンライン(2014年7月29日)で、読売新聞東京本社社長を務められた滝鼻卓雄氏がこのように述べていた。
『滝鼻:私はジャーナリズムの目的は何かというと、正義の実現にあると思っています。ジャーナリストには、「何が正義か」についての柱となる考えがないといけません。正義という基準を持っていないと、ニュースの価値を決めるときにも困ります。法律は必ずしも、正義の実現にはつながりません。正義の実現と乖離した法律もいくつもあります』
読売新聞は世界一の発行部数を誇り、日本を代表するジャーナリスト組織だ。そこで自身も記者として活躍され、編集主幹などを歴任された方が、「ジャーナリスト=正義の実現者」だとおっしゃっているのだ。別におかしなことは何も言ってないじゃないか、と思うかもしれないが、実はこれは世界のジャーナリズムと比べると、かなり斬新な考え方なのだ。
本来、ジャーナリズムとは、「正義」を声高に主張する権力者たちをつぶさに観察し、その主張がまやかしでないのかを検証するという大きな役割がある。しかし、日本のジャーナリズムは滝鼻さんがおっしゃるように、まず自分たちで「何が正義か」を決めてしまう。これは世界的にみてもかなりユニークな思想だ。
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