真田信繁の九度山幽閉ライフは意外と幸せだった?「真田丸」を100倍楽しむ小話(1/2 ページ)

» 2016年10月08日 08時30分 公開
[ITmedia]

「真田丸」を100倍楽しむ小話

この連載では、歴ドル&信州上田観光大使を務める小日向えりさんとともに、NHKの大河ドラマ「真田丸」に登場する人物、あるいは名シーンなどを取り上げて、よりドラマを楽しめるような情報や小ネタをお伝えしていきます。連載バックナンバーはこちら


編集部F: 九度山に幽閉させられている真田信繁たちの生活もだいぶ板についてきたのが先週(10月2日放送)の『真田丸』で描かれていました。農作業したり、近隣の民と親交を深めたりと、とても平和な様子だったので、このまま余生を送れば良かったのにと思ってしまいました。現実には間もなく「大坂の陣」に参戦して、華々しく散ってしまうわけです。

南海電鉄 高野線の九度山駅 南海電鉄 高野線の九度山駅

 実際の九度山の暮らしぶりはどうだったのでしょうか?

小日向: ドラマでもあったように、多額の借金を抱えていたようです。ただ、元々はそれなりの大名だったので、食べるものがなくていつもお腹が空いていたというような生活ではなかったと思います。信繁は連歌をたしなんだり、焼酎を飲んだりしていました。

編集部F: へぇ、焼酎なんて飲んでいたのですね。

小日向: 兄・真田信之の家臣に「焼酎を持ってきてください」と宛てた手紙が残っています。おもしろいのは、しっかりとお酒が入ったつぼのふたを閉めてほしいとお願いしているところです。もしかしたら、前にこぼれてしまいガッカリしたのかな。

 当時、焼酎は高価な嗜好品なので、そこからもそれほど貧しい生活ではなかったのではと思います。

編集部F: ドラマでは「真田紐(ひも)」を作って売るシーンもありました。

小日向: 真田紐については、前にこの連載でお話したように、家臣などに全国を売り歩かせて、そこで見聞きした情報も収集したと言われています。

編集部F: 幽閉ということですが、九度山にいる真田家を監視していた人はいたのですか?

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