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フィリピンで綱渡り人生 借金500万円から逃れた「脱出老人」の末路「幸せは金じゃない」(4/5 ページ)

» 2019年05月22日 05時00分 公開
[水谷竹秀ITmedia]
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仕送り続けて借金まみれ

 フィリピンへ渡る「脱出老人」たちの中には、フィリピンパブで出会った女性を追い掛ける者がとにかく多い。吉岡さんもご多分に漏れず、その1人だった。

 吉岡さんは、四国のとある山間の町で生まれ育った。地元の高校を卒業してから大手警備会社で働き続けていたある日、同僚からフィリピンパブに誘われたのが全ての始まりだった。

 「指名した女の子は正直、それほど好みではなかった。でも楽しかったんですよ。その子が片言の日本語で話すのが面白くて。それで次の週の日曜日にデートしようという話になりましてね」

 その時に出会った18歳のフィリピン人女性と結婚し、子ども2人が生まれた。大手警備会社を辞め、彼女の紹介でフィリピンパブの店長に。県営住宅で暮らす傍ら、母国に住む彼女の家族に仕送りを始めた。生活費として毎月数万円を送金したが、これに加えて彼女から告げられた緊急事態に、何度も対応する羽目になった。

 「母親が乳がんに冒され、医療費が必要になったの」

 「妹が失恋し、洗剤を飲んで死にそうになっているの」

 断れない性格の吉岡さんは、そう言われるたびに銀行や消費者金融から金を借りまくり、送金を続けた。借金した銀行や消費者金融は8社。それに闇金業者を合わせると総額は500万円を超えた。少し考えればおかしいと気付くものだが、吉岡さんは困った表情で当時を回想する。

 「いきなりお金を送ってくれと、目の前で泣いて頼まれるんですよ」

 そうして膨らんだ借金を返済する目処(めど)が立たず、逃げるようにしてフィリピンへ渡った。以来、帰国していない。

 「警備会社を辞め、紹介されたフィリピンパブで店長として働き始めたんですが、給料が半分ぐらいに下がって、利子の返済で手いっぱいになり、完済の見込みがなくなった。これが日本に帰りたくない一番の理由です」

 フィリピン人妻とは結局、離ればなれになった。日本の親族とも長年音信不通になっているため、困った時の送金も頼めない。吉岡さんはフィリピンで生きていくしかなくなった。

 その覚悟の現れが、タガログ語の勉強にぶつけられた。知人の日本人男性からもらったタガログ語の教科書を見ながら、ノートに書き写し、寝る前にはベッドの上で単語を覚えまくった。

 「ここで1人で生きるために覚えることにしたんです」

phot 吉岡さんが現在も保管しているノートはタガログ語と日本語が几帳面に綴られ、熱心に勉強していた当時の様子がうかがえる

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