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フィリピンで綱渡り人生 借金500万円から逃れた「脱出老人」の末路「幸せは金じゃない」(1/5 ページ)

» 2019年05月22日 05時00分 公開
[水谷竹秀ITmedia]
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 いつもは気の優しい、南国の日に焼けた長身の男が、その時ばかりは珍しく声を荒げていた。

 「俺は綱渡りのような人生なんだから。ダメなものはダメ。それでも撮影を続行し、その綱を切るようなことをしたら、俺に迷惑が掛かるでしょ? そうしたら俺の面倒を見てもらえますか?」

 私たちが男の職場をビデオカメラで撮影させて欲しいと頼んだところ、男は「ボスの許可がないとダメだ」と言い張り、ついカッとなったのだ。その時に男の口から咄嗟(とっさ)に出た「綱渡り」という言葉が、フィリピンにおける彼の人生を象徴しているようだった。

 年の瀬も押し詰まった2018年12月25日のクリスマス。日本から海をまたいだ南国、フィリピンには、朝から抜けるような青空が広がっていた。私たちのクルーは、ドキュメンタリー番組の撮影のため、マニラから車で2時間ほど走った地方都市を訪れていた。取材協力者の日本人男性、吉岡学さん (仮名、56歳)に会うためで、老朽化が目立つ一軒家に到着すると、吉岡さんは真っ赤なTシャツに短パンといったいで立ちで、タバコをふかしていた。

phot 常にTシャツ、短パンというラフな格好で生活し、フィリピン社会に溶け込んでいる吉岡さん

「幸せは金じゃない」

 吉岡さんの職場は、地元フィリピンの食品運送会社だった。鶏肉をトラックで運送する仕事である。同僚は全てフィリピン人だから、仕事上のやりとりはタガログ語だ。

 吉岡さんの仕事は深夜から始まる。トラックの助手席に乗り、鶏肉加工場に着いたら大量の鶏肉をトラックの荷台へ運び込む。搬送先は大手スーパー。高速道路を数時間かけて走り、目的地へ到着する頃には明け方近くになっている。

 入口のゲート付近に段ボールを敷き、そこで数時間の仮眠を取る。鶏肉を全て卸したら、午前中に会社まで帰宅する。それで日当は最低賃金を少し上回る500ペソ(約1000円、1ペソ=約2円)。31歳年下のフィリピン人妻、ロナさん(25歳)も同じ職場で事務をこなし、6歳の息子1人を育てながら、つましく暮らしている。しかもビザを更新するお金がないから、不法滞在だ。2004年にフィリピンへ渡って以降、もうかれこれそんな困窮生活が15年近く続いている。だが、そこに悲愴感はない。それどころかフィリピン人に囲まれながらわきあいあいと、今を生き抜いているのだ。

 フィリピンの在留邦人は現在、約1万7000人に上る。主に政府機関職員や民間企業の駐在員、現地採用人員、そして年金移住組に分かれる。特に年金移住組については「海外で悠々自適なセカンドライフ」などとメディアで紹介されることが多い。しかし、生活を始めてみると、必ずしもそれが実態に即しているわけではなく、美辞麗句だったことに気付かされる。日本の文化的価値観を持ち込み、交通渋滞や停電などフィリピンの不便さに不満を並べ立て、フィリピン人と衝突する移住者が少なくないからだ。ところが吉岡さんは、フィリピン人社会に溶け込み、在留邦人の中でも最も現地化していると言っても過言ではないだろう。

 そんな自身の人生を、吉岡さんはこう振り返っている。

 「日本の方が生活面では快適だけど、規則で縛られる社会は窮屈だし、幸せではなかったね。今の方がずっと幸せです。幸せは金じゃない。フィリピンは少ないお金でも大勢の家族で一緒に暮らしている。そういう家族のつながりがこの国のいいところ。でも日本は人と人のつながりが薄いですよね。だから孤独死のようなことが起きるんです」

 日本では2040年、1人暮らしの独居世帯が全体の3割を超えると推測されている。孤独死は増加の一途を辿(たど)っており、日本の超高齢化社会が抱える問題に鑑みると、吉岡さんのように海外へ脱出するという生き方は、もう1つの幸せの形を示しているかもしれない。

phot 南国の日差しを浴び、妻子と連れだってスラムを歩く吉岡さん
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