50歳になった「ブルーレット」は、なぜ姿を変えても売れているのか水曜インタビュー劇場(五十路公演)(3/5 ページ)

» 2019年06月19日 08時00分 公開
[土肥義則ITmedia]

初代の売り上げは苦戦

土肥: 社内からは反対の声が多かったにもかかわらず、“青い水”を開発することになったわけですが、どのようなことに取り組んだのでしょうか?

鄭: 当時のトイレは水流の強さや温度、タンクの位置など家によって違っていました。そこでどうしたのか。便器を100器購入して、どのような環境でも一定の効果を出せるように研究しました。

 商品を開発するうえで、液体がまんべんなく流れるかどうか、しっかりと使えるかどうか、などをテストしなければいけません。会社で購入した便器だけでなく、実際に使っているトイレで調査することに。ただ、水洗化率は20%ほどだったので、テストができるトイレを見つけることに苦労しました。

 工場の近くに中華料理店がありまして、そこは水洗トイレを導入している。しかも、水圧が強い。この情報を聞きつけた開発担当者は、店長さんにお願いして、サンプルを置かせてもらうことに。このほかにも、さまざまな家庭にサンプル設置をお願いして、ようやく商品が完成しました。

完成後、店頭で販売している様子

土肥: 開発するのに、4年ほどの月日が経っていますよね。当初の売れ行きはどうだったのでしょうか?

鄭: 初代ブルーレットはタンクのフタを開けて、その中につり下げるといったモノでした。水洗化率が低いことと、日本初の商品だったこともあって、お客さんからは「これどうやって使えばいいの?」といった声がたくさんありました。というわけで、売れ行きはイマイチでして(涙)。

 このままではいけないということで、商品を無料で取り付けることにしました。新聞広告でそのことを紹介して、「取り付けてもいいよ」といった家庭を募集しました。そして、営業担当者のことを「ブルーレットマン」と呼び、彼らが家を1軒1軒回って、商品を取り付けていきました。

 このほかにも、いろいろなことをやったんですよね。薬局の前で水槽を並べて実演販売をしたり、行きつけの飲食店に設置してもらったり。小さな小さなことを積み重ねていきました。

ブルーレットの商談会の様子

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