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日本マイクロソフト社長の働き方――平野氏単独インタビュー(前編)重要なのは「人」(1/3 ページ)

» 2019年08月28日 09時20分 公開
[大河原克行ITmedia]

 日本マイクロソフトの平野拓也社長が2019年8月31日付で退任し、9月1日付で、米MicrosoftのOne Microsoft Partner Group(ワンマイクロソフトパートナーグループ)バイスプレジデント グローバルシステム インテグレーター ビジネス担当に就任する。日本マイクロソフトの社長経験者が、米国本社に勤務するのは初めてのことだ。

 社長就任以来、4年2カ月間に渡る日本マイクロソフトの経験を、米本社でどう生かすのか。日本マイクロソフト社長として最後のインタビューを行った。2回に渡って、その内容を掲載する。

2019年8月31日付で退任する日本マイクロソフトの平野社長に最後の単独インタビューを行った

4年2カ月を振り返って

 平野氏が日本マイクロソフトの社長に就任したのは2015年7月。14年6月までの3年間、東欧諸国25カ国を担当するゼネラルマネジャーとしてドイツを拠点にして各国を飛び回り、同年7月に日本マイクロソフトの執行役専務として復帰。1年間の引継期間を経て、前任の樋口泰行氏(現パナソニック代表取締役専務)から社長のバトンを受け取った。

 米本社では、14年2月に、サティア・ナデラ氏がCEOに就任して、新たな施策が実行段階に入ってきた時期であり、平野氏が社長に就任した15年7月にはWindows 10のリリースも控えていたタイミングであった。

―― 2015年7月に社長に就任しました。当時は、どんな思いでしたか。

平野 社長に就任した当時は、本社のCEOにサティア・ナデラが就任して約1年半を経過し、これから「サティア色」が出てくるタイミングでした。私が、日本マイクロソフトの社長就任直後に打ち出された施策が、Windows 7およびWindows 8のユーザーに対して、Windows 10に無償でアップグレードできるというものでした。事業の柱であったWindowsの最新版からは売り上げが計上できない。それでいてバジェットが下がらないという「衝撃的」な状況からスタートしたわけで、これは大変な時期に社長になってしまったなぁと思いましたよ(笑)。

社長就任直後にWindows 10を発表。既存ユーザーには無償で提供するという施策から始まった

平野 しかし、その一方で、これから何が起こるのだろうかという点での期待感はありましたし、さまざまな変革や、新たな試みに挑戦できるといったタイミングでもあり、そのチャンスをもらえたという思いはありました。

 その一方で、前任の樋口さん(現パナソニック 代表取締役専務執行役員)のIT業界における抜群の知名度と、エンタープライズ市場へのコミットメントの強さ、パートナーやお客さまとの接点の持ち方の素晴らしさを目の当たりにしていて、これは自分にはできないな、ということは感じていました。それでは、自分は何ができるのか、ということを考えましたね。

2015年7月に樋口泰行氏(写真=右)から日本マイクロソフトの社長職を引き継いだ

平野 悩みながらの1年目でしたが、それを終えてみて感じたのは、与えられた目標を達成して、結果を出すことに力を注ぐだけでいいのかということでした。むしろ、自分の役割は、売り上げや目標を達成するだけではないな、という思いが強くなりました。

 もちろん、数値目標を達成することは大切であり、これを明確に打ち出すことは、社員が同じ方向に向かうためには必要です。

 ただ、Microsoftはハイパースケールのクラウドビジネスを展開しており、資金もあり、サティアという輝いたリーダーがいて、しかも、これだけ多くのお客さまやパートナーがいる。こんなIT企業はなかなかありません。社員も素晴らしい人材がそろっている。これだけ恵まれた環境にありながら、予算達成だけを喜んでいていいのか。社員がこれだけ一生懸命に働いて、苦労をして、そのゴールが、売り上げの達成だけでいいのかということを自問自答しました。

 もっと広い視野で、日本マイクロソフトの存在価値はどこにあるのかという視点で考えた場合に、そうではないと。その結果たどり着いたのが、自分たちが日本の社会変革にどんな貢献ができるのかを真剣に考え、それに取り組むことでした。

 就任1年目は、働き方を変えたり、変革することに力を注ぎ、日本マイクロソフトの目指すべき企業像として、「革新的で、安心でき、喜んで使っていただけるクラウドとデバイスを提供する」としていました。しかし、2年目には「革新的で安心して使っていただけるインテリジェントテクノロジーを通じて、日本の社会変革に貢献する」といったように変えました。

 私自身、1年目に目指したものと、2年目に目指したものは全く違うというぐらいの変化でした。これが、1年生の経営者として、気付くことができた一番大切な部分だったといえます。パーパス(目的)が明確になり、そこに向けて、日本マイクロソフトがビジネスを行っていくということを、社長2年目に示せたと思っています。

日本の社会変革に貢献することを、日本マイクロソフトが目指す企業像に掲げた

―― 社長就任以来、4年2カ月での退任となります。この間、どんなことをしてきましたか。

平野 樋口さんのビジネスのやり方と私のビジネスのやり方は違います。これは良い、悪いということではなく、成長というゴールに向けたやり方が違うという意味です。ビジネスの環境も大きく異なるなかで、この4年間は、その違いを見せることができたと思っています。

 例えば、パートナーとの連携の仕方や、それまでは標準といえた仕組みや考え方についてもリセットし、新たなアプローチができたと考えています。ライセンスのビジネスから、コンサンプション(消費)をベースにしたクラウド時代の仕組みに大きく変化させたのは、その成果の1つです。

 また、社員をエンパワーメントすることで、この4年間で売上高を2倍にしながら、社員一人当たりの就労時間を年間80時間減らすことができました。これも成果の1つです。この成果があるからこそ、19年8月には、週勤4日、週休3日という取り組みに挑戦することができました。

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