クルマはどう進化する? 新車から読み解く業界動向

為替は「北米に工場を造っても、ほとんど変わらない」 マツダ藤原副社長インタビュー(2)池田直渡「週刊モータージャーナル」(8/8 ページ)

» 2019年11月28日 07時00分 公開
[池田直渡ITmedia]
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池田 オーストラリアは、サプライヤーもほぼ撤退済みなんですよね?

藤原 もうほとんどいないですね、今は。

池田 豪ドルに対しては、もう打つ手が正直ない。

藤原 そうですね。だから、みんなで集まって鉱石でも買うかという話も出ましたね(笑)。いや、本当に。

池田 ボーキサイトが出ますね(笑)。

藤原 (笑)。そうそう。地面から出てくるもんしかないんです、基本的には。それが中国と連携しているので、中国経済が落ちていくと、あそこも経済が落ちていくとか、何かもう複雑な。

池田 ただ、中国とオーストラリア、ちょっと切れ始めましたよね。ミシガンの工場の撤退の話って、私、全然その時期のことを知らないんですけど、簡単にご説明していただいてもいいですか、そのときの状況。

撤退したミシガンの工場

藤原 もともとフォードと一緒にMMUCという工場をミシガンに造って、そこからフォードと一緒になってAAIという工場になって、残念ながらずっと利益が出ず、最終的には撤退ということです。

池田 何年ぐらい稼働してたんですか。

藤原 30年近くやりました。ただ、われわれはMAZDA6系を作り続け、彼らもMAZDA6をベースにしたプローブを作ってたので、どちらにしてもあの辺はスペシャリティカーなので、派手にぶわーっと売れて、あとどーんと落ちるという状態の……。

池田 稼働させるにはしんどいですね。

藤原 フォードにとっては、しんどいからこそジョイントで工場を造らせたんですけど、共同で運用しようとすると、どーんといって、どーんと落ちるやつを、われわれのセダンとかクーペとかで、埋められるかといったら、なかなか埋められない。うまく稼働しなかったんですね。しかもフォードですから、UAW(全米自動車労働組合:米国最強の労働組合)の難しい状態もあって。

池田 ああ……。もう聞いただけで、それはもう何か……。

藤原 (笑)

明日公開の(3)に続く

筆者プロフィール:池田直渡(いけだなおと)

 1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(カー・マガジン、オートメンテナンス、オートカー・ジャパン)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。

 以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。


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