クルマはどう進化する? 新車から読み解く業界動向

水素に未来はあるのか?池田直渡「週刊モータージャーナル」(1/4 ページ)

» 2020年02月03日 07時00分 公開
[池田直渡ITmedia]

 私事だが、27日に父が亡くなった。父の話は高齢者の健康と運転の関係性の一例として、11月に記事に書いた。結局免許返納から4年半ほどで亡くなったことになる。

 もちろん高齢者の寿命と免許証返納の関連性がどの程度かは、このたった一例をもってどうこういえることではないが、身近で見ていた家族としては、やはりクルマを降りてから亡くなるまでの4年半、クオリティ・オブ・ライフへの影響は少なくなかったように感じている。

 しかし、いずれにしてもどこかのタイミングで運転を止めなくてはならなかったであろうとも思うし、運転を続けていたらもう少し元気で長生きしたかもしれない可能性とのバランスは、何ともいいようがない。あの記事の行き着いた先の一応のご報告である。

 そんなわけで、ちょっとバタバタしたけれど、原稿を書く時間すら取れないわけでもないので、今週もいつも通り書いてしまおう。

 さてお題は水素。それはつまり燃料電池車(FCV)についてということになる。さて、FCVについては、だいぶ情報が不足しており、そのせいで電気自動車(EV)以上に、極論が跋扈(ばっこ)しているように思う。

トヨタの水素を使った燃料電池車、MIRAIの2代目

エネルギーミックスは自然の流れ

 という話をする前に、一度エネルギーの多様性の話をしないとならないだろう。「内燃機関が完全に滅んで、100%全てのクルマがEVになる」という世界は、未来永劫(みらいえいごう)来ないだろう。

 理由は簡単で、世界を見渡せば未電化、つまり電気がない世界で暮らしている人口は10億人といわれており、世界人口約77億人の1割以上に上る。電気はインフラ依存が高いエネルギーなので、普及には経済発展が条件だ。そして、経済発展とインフラ整備のためには平和が条件だ。

 つまり地球上のクルマを100%EV化するためには、まず世界から戦争を撲滅しなければならない。それは人類の見果てぬ夢であり、極めて難易度が高い。

 紛争地帯では、エネルギー密度が高くて当該車両に積んで運べる、つまり静的に保存可能なエネルギーでなければ使い物にならない。電気を貯蔵する方法は一般論でいえば電池だが、電池はエネルギー密度が低くポータブルなエネルギー源としては効率が悪い。よってインフラが未発達な環境には適さない。

 想像してみてほしいが、例えば極地探検にEVで出掛ければリスクはぐっと高まってしまう。石油というエネルギーはドラム缶に詰めてしまえばどこにでも持ち運べて、少ない重量・体積で長時間車両を稼働できる。石油燃料の車両はインフラのない地域での運用に圧倒的に強く、多分そういうエリアでは内燃機関車両がなければ物流が成り立たない。

 という現実と同時に、先進諸国ではパリ協定への適合が求められ、特に2050年目標のためには化石燃料の廃絶以外に道はないのも、もう一つの現実だ。地域と時代と目的によってエネルギーに求められる特性は異なるのだ。つまりエネルギーは地域ごとに多様であることが自然だ。例えばガソリンとディーゼルが適材適所で長く共存してきたように、石油もガスも電気も水素も、比率はともあれ適材適所で活躍していくだろう。

 エネルギーはミックスで運用される。昨今、一部の人が「EVしかあり得ない」と主張したがるようだが、なぜどれが一番優れているかを決めて、それ以外を目の敵にして廃絶させようと説くのは全く意味が分からない。「聖書か死か?」ではないが歴史上の苛烈な宗教のニオイがする。

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