新型車投入の横須賀線、“通勤電車ではなかった”歴史と「車両交代」の意味杉山淳一の「週刊鉄道経済」(3/5 ページ)

» 2020年06月19日 07時00分 公開
[杉山淳一ITmedia]

かつてはトンネル経由ではなかった

 横須賀線と総武快速線はトンネルを経由して直通運転を実施している。この運行形態は1980年10月のダイヤ改正からだ。それ以前の横須賀線は地上の東京駅を発着していた。これは東京通勤圏ではちょっとした事件だった。この総武快速線直通と、その後の専用電車E217系電車の投入、そして今回のE235系への切り替えによって、横須賀線は「長距離列車」から「通勤電車」へと変化していく。それは東京の通勤圏拡大の象徴でもあった。

 鉄道のトリビアとして「山手線の起点は品川、終点は田端」がある。東京〜品川間は東海道本線に直通、田端〜東京間は東北本線に直通している。運転系統の山手線は運行系統の愛称で、路線名としては厳密な区分がある。よく知られた知識だと思う。

 それでは、横須賀線の起点と終点はどこか。終点は行き止まりの久里浜駅と分かる。起点はどこかといえば、大船駅である。大船〜品川間は東海道貨物支線、品川〜東京間は東海道本線に直通運転している。東京〜久里浜間の横須賀線は運行系統の愛称だ。特に、東海道貨物支線の部分は「新横須賀線」とも呼ばれている。

横須賀線の概略図(地理院地図を加工)。赤が路線名としての横須賀線、黒が運行系統名としての横須賀線

 このような路線形態になった経緯を追ってみよう。

軍用路線として建設された

 横須賀線は当初、陸軍と海軍が要請した軍用路線として建設された。海軍横須賀軍港と陸軍観音崎砲台を鉄道で結ぶルートである。JR横須賀駅が横須賀市中心部から離れている理由は、横須賀軍港近くに駅を作ったからだ。1889(明治22)年に大船〜横須賀間が開業した。中間には鎌倉駅、逗子駅が設置された。当初は大船〜横須賀間で旅客列車4往復、貨物列車1往復が設定されていた。1892年に旅客列車のうち1往復が東海道本線に直通した。当時はまだ東京駅がなく、新橋駅(旧駅、後に汐留貨物駅となり廃止)まで運行された。

 横須賀線は軍部から要請された路線だったけれども、開通を機に、古都鎌倉は歴史観光地、海水浴療養地、別荘地として注目されていく。つまり、横須賀線の役割は軍用路線かつレジャー路線だった。

 横須賀線の第一の転機は1909(明治42)年だ。東京駅が開業し、横須賀線列車の東京駅乗り入れが始まる。その少し前、東海道本線支線だった大船〜横須賀間に横須賀線という路線名が与えられた。軍部の需要が多く、輸送量も増加していったようだ。1914年から複線化工事が始まり、1922年には電化工事も始まった。1924年に大船〜横須賀間が全線複線化され、翌年に全線電化された。

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