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コロナ禍のテレワークが崩壊させた「会社は安住の地」という幻想訪れるアイデンティティーの危機(2/4 ページ)

» 2020年07月14日 08時00分 公開
[真鍋厚ITmedia]
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職場のストレス無くなりめでたし……では終わらず

 他方、普段は会社のヒエラルキーの中層、もしくは下層に追いやられている人々は、「物理的な地平」の消失についてどちらかといえば諸手を挙げて賛成しました。会社の人間関係がストレスにしか感じられない社員にとってはなおさらでした。

 会社との接点はネット回線、つまりはPC上だけ。画面に映る朝礼や会議などを適当にやり過ごし、仕事を一人で黙々とこなすことが可能になり、生産性も向上するのであれば何の不満もありません。画面の向こう側にいる人物(上司や同僚など)の存在感は薄れ、画素の粗い悪趣味なGIF動画のようにも見え始め、音声を絞ってしまえばさほど気にならないバナー広告として処理できます。

 そうなると、「会社という舞台」が社員らしさを演じるだけの不気味な小劇場のようにしか思えなくなり、部下の監視にのめり込む仕事のできない上司は、さながら公演の機会を閉ざされた大根役者でしょう。めでたしめでたし、というわけです。

 けれども、話はこれで終わりません。

突きつけられる「仕事の意味」

 会社という帰属先以外の社会的な関係性に乏しい人ほど、次第に「自分が何者なのか」という感覚があやふやになるからです。頭では〇〇会社の社員であるということは分かっていても、現実感が伴いづらくなります。そして、自分がやっている仕事の意味について考えざるを得なくなります。

 人によっては「この仕事にどれほどの意味があるのか」といった疑念が拭えなくなります。とりわけ社員のロイヤリティー(忠誠心)の維持を「場所性と直接性」というアドバンテージに頼ってきた企業ほど、このような社員に底流する根源的な問いに答えることが恐ろしく困難になってしまいます。良くも悪くも「身体的な近接性」、非言語(ノンバーバル)コミュニケーションによる化学反応を重んじてきたからです。

 つまり、こうした社内でヒエラルキーが高くなかった人々も、臨場感のために物理的な道具立てを求めた管理職たちと全く同じ轍(てつ)を踏むことになります。実は会社への忠誠心がもともと低めだった彼らもまた、コロナ前までは知らず知らずのうちに、会社という1つのアイデンティティー(帰属意識)を持っていた、と言えるからです。

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