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コロナ禍のテレワークが崩壊させた「会社は安住の地」という幻想訪れるアイデンティティーの危機(3/4 ページ)

» 2020年07月14日 08時00分 公開
[真鍋厚ITmedia]
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忠誠心低い人にも訪れる「帰属意識の危機」

 「『自分自身を何かに同一化(アイデンティファイ)すること』、は自分でコントロールもできなければ、影響も及ぼせない未知の運命に人質を差し出すことを意味する」と述べたのは、社会学者のジグムント・バウマンでした(『アイデンティティ』伊藤茂訳、日本経済評論社)。

photo 『アイデンティティ』(ジグムント バウマン著, 伊藤 茂訳、日本経済評論社 )

 一見、会社への忠誠心が低めの社員であっても、物理的な「会社という場」があったコロナ前までは、意外なほどそこに帰属意識を感じ、つなぎ止められてきた面もあった、と言えるのではないでしょうか。

 一部の賢明な会社は、特に優秀な人材については精神衛生上のケアが不可欠と考え、オンラインでもロイヤリティーやモチベーションを確保できるよう、共食や雑談といった休憩室的な時間枠、チャット相談の拡充などといった、あの手この手の方策を試行することでPDCAのサイクルを回しています。でないと、個々のパフォーマンスの低下や、離職率の増加へとつながりかねないからです。

 とはいえ、少なくない社員にとってはアイデンティティー(帰属意識)の見直しによる新しいスタートを切れる可能性が生じます。「こんなくだらない職場にとらわれていたのか」といった自らの境遇にスポットライトが当たり、社畜的な感受性の温床であるいびつな「支配と依存の関係」にも気付くからです。社会的なアイデンティティー(帰属意識)を単一の勤務先に求めてしまう、といった危険な欲求です。

 日本では今でもなお会社=コミュニティー的な組織体としての性格が根強く、それによる同調圧力と過剰適応がワーカホリックの主な原因にもなっています。バウマンは、安定や不安の解消の代替案としてコミュニティーが魅力的に映ったとしても、確固たる忠誠を要求する門戸の狭い「自己同一的なコミュニティは、逆に悪夢、つまり、地獄や監獄のヴィジョン」(前掲書)だと極言します。要は、どこかに「安住の地」があるという幻想から解き放たれなければ、最悪の場合「ブラック企業渡り鳥」となる恐れがあるのです。

 引き続きコロナ禍によるテレワークの普及拡大、長期化が加速するに及び、当然ながら社員を大事にしない会社からは退職者が続出することになり、さらには「場所性と直接性」が最後の砦だった古い体質の会社からも優秀な人材が流出することでしょう。しかしこれは、俯瞰した視点から眺めてみれば、必ずしも悲劇とは限りません(経営者やマネジメント層にとっては悲劇でしかないかもしれませんが)。

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