同じ映像表現であっても、実写とアニメは別ジャンルと捉えられがちだ。実写関係者がアニメ映画やテレビ作品、その作り手を語ることは少ない。日本特有の実写とアニメの断絶、日本映画界の保守性が国内と海外との評価の違いを感じさせる。
実写映画との関係は、今 敏の作品を考えるうえでの重要なポイントだ。00年代以降の評価の高まりは劇場公開された長編映画の批評にあった。映画として作品を観た多くが、今 敏の作品に実写の演出、表現を重ねた。彼は生前に、「作品をなぜ実写で撮らなかったのか」と何度もインタビューで質問されたと述べている。レビューや研究論文でも、実写映画と関連付けて説明されることは多い。
今 敏作品はリアルなのだという。しかし今の描く世界の多くがファンタジーで構成されており、それらはアニメで描くことが有利な物語であることは、考えればすぐに思い至る。
それでもそうした指摘が繰り返されるのは、作品に実写が持つリアリティーを感じるからではないか。今 敏のリアルとは現実にある風景を描くことでなく、フィクションでありながらその時々の社会情勢を反映し、登場人物たちがいかにも普通の人々が起こしそうな行動を取ることにある。
同時に今 敏作品はオタクカルチャーと関連づけ言及されることも多い。実写映像に馴染んだ人たちは、実写で見慣れた表現がアニメで描かれ、かつそこに見慣れないオタクカルチャーが入り込んでいることに戸惑い、新しさを感じる。コアなアニメの伝統と実写映画のリアルの双方を獲得していることが今 敏の卓越した特徴なのである。
本稿を書きながら、返す返す今 敏の早過ぎる死の残念さをかみしめる。もし存命であれば、さらなる傑作が生まれたはずだ。ベネチア国際映画祭の本コンペにまで進出した今 敏だけに、その作品の素晴らしさはさらに多くの人に届き、高い評価を得たに違いない。
今 敏が死の直前まで新作長編映画『夢みる機械』に取り組んでいたことはアニメ関係者やファンの間ではよく知られている。多くの設定・脚本、さらに絵コンテ、作画も一部進んでいたとされる。その完成を望む声は多い。ただ今 敏の個性はあまりにも強く、仮にそれを誰かが引き継いでも、たとえ優秀なスタッフであっても同じものを創り出すことは出来ないであろう。
『夢みる機械』の企画が、今後実現する可能性はないわけでない。しかし当初のスタッフはすでに解散して長い年月がたち、当初構想されていたスタッフでのアニメ化は難しい。となれば仮に実現しても、あくまで原作・原案で、今 敏の作品とはまた違ったものになるはずだ。
それでも我々の手には4つの長編映画、全13話のテレビシリーズ『妄想代理人』(2004)といった作品が残されている。決して数は多くはないが、何度も観ても発見があり、魅入られる作品ばかりだ。まさに映像史に残る傑作だ。
それは過去10年間の今 敏の評価の高まりが示している。その作品群は、10年どころか千年もの時を超えて生き続けるに違いない。
※主要参考文献
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