攻める総務

「楽天モバイル社員によるSB技術情報の不正持ち出し」から学ぶ、営業秘密の要件・問われる責任・未然防止措置弁護士が解説(3/3 ページ)

» 2021年03月30日 07時00分 公開
[BUSINESS LAWYERS]
前のページへ 1|2|3       

 特に、(1)のアクセス制限について、当初は緩やかに解釈されてきたものが、ある時期を境に厳格に解釈する立場が主流となり、そして、近時は再びこれを緩やかに解釈し、むしろ(2)の認識可能性の点を重視する立場が主流になりつつあります。これは、ある情報が「営業秘密」と認められやすくなってきている、ということを意味します。技術独占による競争力強化と技術開放による市場拡大をバランスよく進める「オープン&クローズ戦略」が推奨されるなかで、営業秘密を保護することの社会的ニーズが高まってきていることとも符合する流れです。

 下図は、営業秘密侵害事犯の検挙数の推移を表したものですが、営業秘密保護の意識の高まりを受け、刑事事件化される数も年々増加傾向にあります。

出典:警察庁生活安全局生活経済対策管理官「令和元年における生活経済事犯の検挙状況等について」22頁

3.楽天モバイルの刑事責任はどのような場合に成立するか

──仮に、対象従業員について刑事責任が認められる場合、転職先法人である楽天モバイルについても刑事責任は成立するのでしょうか。

ポイント

  • 不正競争防止法は両罰規定を設けていますが、対象従業員に「営業秘密記録媒体等不法領得罪」(不正競争防止法21条1項3号)または「役員・従業者による営業秘密不正使用・開示罪」(不正競争防止法21条1項5号)が成立するとしても、両罰規定の適用はありません。
  • これに対し、転職先の別の従業員Xが対象従業員に対し営業秘密の持ち出しを指示し、対象従業員からXが営業秘密の開示を受けたような場合は、当該Xについて「不正開示された営業秘密の転取得罪」(不正競争防止法21条1項8号)が成立する可能性があり、この場合、両罰規定は適用されます。

 刑事責任は基本的に自然人である個人に対して課されるものですが、両罰規定により法人処罰がなされる場合もあります。不正競争防止法も22条1項で「法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務に関し、次の各号に掲げる規定の違反行為をしたときは、行為者を罰するほか、その法人に対して当該各号に定める罰金刑を、その人に対して各本条の罰金刑を科する」と、両罰規定を設けています。

 ただし、両罰規定は全ての営業秘密侵害罪を対象としているわけではなく、不正競争防止法21条1項3号から6号に規定する行為は、両罰規定の対象から除外されています

 対象従業員の容疑が、仮に、「営業秘密記録媒体等不法領得罪」(不正競争防止法21条1項3号)または「役員・従業者による営業秘密不正使用・開示罪」(不正競争防止法21条1項5号)に関するものであるとすると、転職先法人には両罰規定は適用されないということになります。これは、営業秘密を知り得た者が、転職後にこれを不正に使用または開示する場合に転職先法人を処罰するとなると、転職先法人が転職者の受入れを躊躇(ちゅうちょ)する可能性があることを考慮し、適用範囲から除外されたものです。

 これに対し、転職先の別の従業員Xが対象従業員に対し営業秘密の持ち出しを指示し、対象従業員からXが営業秘密の開示を受けたような場合は、別の検討が必要となります。この場合は、従業員Xについて「不正開示された営業秘密の転取得罪」(不正競争防止法21条1項8号)が成立する可能性があり、両罰規定が適用されます。

4.転職前・転職後企業それぞれがとるべき未然防止措置

──対象者の転職前の企業(以下「転職前企業」といいます)、また、転職後の企業(以下「転職後企業」といいます)のそれぞれにおいて、今回のような事態を未然に防ぐために考えられる工夫について教えてください。

ポイント

  • 営業秘密の漏えいを未然に防止する工夫をまとめたものとして、経済産業省が「秘密情報の保護ハンドブック〜企業価値向上に向けて〜」(平成28年2月)を公表しています。
  • 営業秘密漏えい事案を含むコンプライアンス教育の一番の要諦は「悪事は必ずばれる」ということを対象者に徹底認識させることです。
  • 転職後企業が取るべきリスク軽減策の1つとして、雇用時に差し入れてもらう誓約書のなかで、不正競争防止法に違反するような営業秘密を有していないことを表明保証させるという方法が考えられます。

4-1.転職前企業における未然防止措置

 営業秘密の漏えい・流出について、転職前企業は “被害者” という側面を持つ一方で、その取締役については当該企業の内部統制システムの構築義務(会社法362条4項6号)に関する責任を問われることも考えられます。このような事態を未然に防止するための直截的な措置として、退職者に競業避止義務を課すという方法も考えられますが、憲法上の権利である職業選択の自由(憲法22条1項)に対する大きな制約を課すものであり、このような義務が法的に有効に機能する場面は限定的でしょう。

 なお、一般に、競業避止義務は、以下のポイントにより、その有効性が判断されます。

(1)企業の利益(例:機密情報等、競業避止義務によって守るべき利益の有無・程度)
(2)対象者の地位(例:義務の対象者が高い地位にあるか、また、機密性の高い情報を管理する立場にあるか否か)
(3)地域的限定(例:義務の範囲が地理的に広範囲か否か)
(4)時間的限定(例:義務が長期間にわたるか、比較的短期か)
(5)禁止行為の範囲(例:禁止される業務内容等が具体的に特定されているか)
(6)代償措置の有無・程度(例:競業避止義務を課すことの補償が行われているか否か)

 競業避止義務の有効性に関する調査報告として、三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社「平成24年度 経済産業省委託調査:人材を通じた技術流出に関する調査研究報告書」(2013年3月)がWeb上で入手可能です。

 その他の未然防止策としては、経済産業省が「秘密情報の保護ハンドブック〜企業価値向上に向けて〜」(平成28年2月)を公表していますので、そちらをご覧いただくとして、本件のような営業秘密漏えい事案に限ったことではありませんが、コンプライアンス教育の要諦を一言でいえば「悪事は必ずばれる」ということを対象者に徹底認識させることに尽きると思われます。

 営業秘密の侵害というと、スパイ映画で見るようなプロの隠密行動がイメージされがちですが、実際の漏えい事例の多くは、会社のメールアカウントから自己のプライベートアドレスへの機密情報の転送といった、非常に稚拙な方法がとられることがほとんどです。サーバ側でのメール送受信の監視は多くの企業で行われており、そんなことをすれば「必ずばれる」と対象者に徹底認識させるだけでも、このような不幸を未然に防止することにつながります。

4-2.転職後企業における未然防止措置

 受入側の企業の注意点として、まず、言うまでもないことですが、他社の営業秘密の持ち出しを前提としたような転職を求めることは最終的に自社の首を絞めることにつながります。この手の話は因果応報であり、そのような者を雇い入れて、仮に問題が発覚しなかった場合でも、同じ人間が自社を離れる際に同様の持出行為を行う可能性がある点も十分認識すべきでしょう

 なお、契約上の工夫としては、雇用時に差し入れてもらう誓約書のなかで、不正競争防止法に違反するような営業秘密を有していないことを表明保証させるという方法が考えられます。これには、転職者本人に対して自覚を促すという機能もありますが、より重要となるのは、会社自身が善意無重過失であることの裏付けとしての機能です。

 【表1】および【表2】からも分かる通り、営業秘密の転得者については、転得時の主観的態様が責任の成否を決めることになります(民事責任との関係では善意無重過失、刑事責任との関係では善意であれば、責任を負いません)。転職者に上記のような表明保証をさせることにより、会社自身が善意(無重過失)であることの裏付けをとっておくというリスク軽減策は実務でもよく用いられています。

宮下和昌弁護士 IGPI弁護士法人代表弁護士/株式会社経営共創基盤 Deputy CLO

慶應義塾大学総合政策学部卒業、シンガポール経営大学Master of Laws修了。大手通信会社において、持株会社及び戦略事業子会社の法務部門を兼務し、事業提携・M&A、戦略シナリオの策定、独禁法対応を含む各種法務業務に従事。その後、経営共創基盤において、クロスボーダーM&Aのプロジェクトマネジメントを中心に、幅広い分野において事業・法務横断的なアドバイザリーサービスを提供。著書に『事業担当者のための逆引きビジネス法務ハンドブック』(共著)等。

BUSINESS LAWYERSについて

BUSINESS LAWYERSは、“企業法務の実務に役立つ情報を提供する”オンラインメディアです。特にIT分野では、個人情報などのデータの取り扱いに関する情報や、開発・DXプロジェクトにおける留意点をはじめ、主に法的観点による解説コンテンツを発信。独自のネットワークを駆使したインタビュー記事や、企業法務の第一線で活躍する弁護士による実務解説記事などを掲載しています。その他の記事はこちら

前のページへ 1|2|3       

© BUSINESS LAWYERS