クルマはどう進化する? 新車から読み解く業界動向

限りなく近づいた自動運転の時代池田直渡「週刊モータージャーナル」(2/7 ページ)

» 2021年04月19日 08時10分 公開
[池田直渡ITmedia]

何を目的にしたシステムなのか?

 こういう支援系システム、もっといえば自動運転系システムの最大の悩み所は、「できること」と「やっていいこと」の分別をどう付けるかである。現実的な話、限られた厳しいシチュエーションを例外としていいなら、つまりシステムがギブアップした時、人間に運転を交代することを許容するなら、技術的にはもう高速道のみならず、一般道も自動運転は可能だ。もちろんシステムがギブアップしたら、一定時間内にドライバーがバトンを受け取る体制にあることが前提ではあるけれど。

 仮にピカピカの新技術を世に誇り、テクノロジーの未来への期待で株価を爆上げさせることを自動運転の目的にするなら、できることをどんどんやってしまえば良いのだ。

 例えば精度の高いセンサーと、演算の速いプロセッサーを搭載し、さらにアクチュエーターのレスポンスを高めにとった自動運転車両同士であれば、前後クリアランス10センチの割り込み車線変更だって可能だろう。人間には真似できないようなスリル満点の運転をコンピュータに演じさせて、最先端の未来の技術だと喝采を浴びることだってできる。万が一、人が死んだら「これはレベル2であって、運転に関する一切の責任はドライバーにある」と言えばいい。

 しかし、もしメーカーとしての基本理念が、「交通死亡事故を減らす」ことが大目的としていて、その手段として「自動化を行う」となれば話は変わってくる。それは曲芸を見せる場ではなく、人が死なない社会の実現という未来のための誠実な技術でなくてはならない。

 首都高のC1を手放しで運転して「一周完走した。スゴいスゴい」と喜ぶ動画があったとしたら、どちらの未来を目指したものだと捉えるかはこれを読むみなさんに判断していただきたい。筆者はそれがどちらだとは言わない。

ジャンクションのような分岐路では、ドライバーモニターシステムがドライバーの視線を判定し、進路方法の安全確認が行われたことをチェックして車線変更を行う

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