では、やはりそういうことかと言えば、それだけではない。逆に、能力がそれほどでもなく、そもそもアウトプットの期待も高くなければ、期待値とのギャップもそれほど大きくなく、「ああ、やっぱりな」と納得感は高いのが普通ではないか。(残念ながら評価が高まるわけではない)
むしろ、相手を感情的にする、怒りをあらわにされるというのは、本当はできる能力を持っているにもかかわらず、明らかな手抜き、アウトプットのごまかし、あとまわし、誠意のなさといった、その仕事に対する向き合い方、態度によるのではないか。
よく言われることだが、それまで蓄積された信頼関係があれば、多少の問題があっても、その信頼関係によって問題が問題ではなくなる。だから、結局は普段の信頼関係の深さが重要だという通説もある、確かにそうだろう。盤石な信頼関係があれば、多少の問題は問題にもならないだろう。しかし、その信頼関係というのは、お互いの仕事に対するニーズを理解しており、そのニーズの実現のためには全力を尽くすのがわかっているからこそ、相手を信じることができるという状態であって、信頼していた人が、ニーズを勝手に解釈し、自分の仕事に対して誠意のない不遜な態度をとってしまったら、表面に出す出さないは別にして、「裏切られた」という気持ちに近いものも生まれてしまうだろう。
人は本当に能力のない人に対して、本気で怒ることなどほとんどない。本来はできるはずなのにできなかったことに対して怒る。
そういう点から考えれば、問題解決の第一歩、また問題を起こさないためには、その仕事に向き合う態度だということも言えるのではないか。
これも経験上のことなのだが、問題勃発の要因の半分以上は、「期待値が分かっていない」あるいは、知っていても「そのクオリティへの本気度合いを感じていない」である。
相手の言いたいこと、主旨を理解していないのだから、問題が解決するはずがないのだ。相手の期待値を本当の意味で共有することは本当に難しいことだ。些細なことで、共有ゴールはずれる。
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