数年前、あるテレビ番組に出演したことがあります。その収録中、雇用労働に関するテーマでタレントのお一人が、「某テレビ局のADはみんな蹴られたりしている」と発言したのに驚きました。放送ではその発言はカットされていましたが、冗談をいう話の流れではなかったので印象に残っています。
2022年1月14日、東京スポーツが報じた「テレビ各局で『AD』の呼称廃止へ 最下層扱いにメス…新名称でどうなる? 」と題する記事を読んだとき、その言葉がよみがえりました。ちなみに記事では日本テレビ関係者のコメントが掲載されていますが、タレントの発言にあった某テレビ局は別の民放です。
ADとはアシスタントディレクター(Assistant Director)の略称。ディレクターのサポートをしている立場だけに、名が体を表す分かりやすいネーミングだと思います。しかし今後は、YD(Young Director)やSD(Sub Director)などと名称が変わるようです。その背景には、雑用係というイメージを払拭(ふっしょく)する狙いがあると伝えられています。
その一方で、記事は「テレビ局にも働き方改革の波は押し寄せ、かつてのように異常な長時間労働はなくなった」と報じています。日本において長時間労働は重要課題の一つでしたが、働き方改革は着実に職場の変化を促しているようです。
とはいえ、ここで注意しておきたいことがあります。
以前書いた記事「“誤差”か“氷山の一角”か 女性自殺者増加から透けて見える、日本企業の深刻な『勤務問題』」でも紹介しましたが、厚生労働省のWebサイトには働き方改革について次のように説明されています。
“働く方の置かれた個々の事情に応じ、多様な働き方を選択できる社会を実現し、働く方一人ひとりがより良い将来の展望を持てるようにすることを目指しています”
労働時間の削減自体は望ましいことですが、働き方改革で本来実現したいのは、「多様な働き方を選択できる社会」や「一人ひとりがより良い将来の展望を持てる」状態です。そのためには、生産性を向上させて賃金単価を高めたり、社員ごとに異なるキャリアの希望に寄り添って個別にサポートしたり、もっと休みを取りやすくしたりと包括的な取り組みが必要です。無理に労働時間の削減だけを進めても、その分賃金が減ったり、対応しきれない業務のしわ寄せが誰かに行ってしまったり、サービス残業が増えたりと、かえって害をなすおそれもあります。
もし、働き方改革がそんな表層的な取り組みにとどまるようであれば、やがて名称と実態が乖離(かいり)した名ばかり改革に陥り、風化してしまうのではないかと危惧されます。
実際に、名ばかり改革に陥っていると感じる雇用労働施策はいくつも思い当たります。
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