「愛に、国境も、歳も、性別もカンケーない!」――。
音楽プロデューサー福嶋麻衣子さんがプロデュースする「虹のコンキスタドール」の代表曲「トライアングル・ドリーマー」の一節だ。
東京藝術大学音楽環境創造科を卒業し、秋葉原のライブ&バー設立や「ディアステージ」の設立に関わった。アート、ファッションを持ち込みプロデュースしたアイドルグループ「でんぱ組.inc」は、それまでのアイドルファンと異なるファン層を獲得し、2014年には日本武道館のステージに上げるまでに成長させた。
「でんぱ組.inc」の次にプロデュースした「虹のコンキスタドール(以下、虹コン)」も、ユニークなコンセプト、時代を先取りした取り組みが、新たなファン層を獲得するグループとなり、4月16日、17日には日本武道館公演2daysの開催を予定している。
また虹コンは全農(全国農業協同組合連合会)の「食の応援団」にも任命されており、YouTube番組「全農 presents届け!ファンファーム」では、食と農の魅力を発信するなど異色のコラボを展開し、企業社会においても注目を集めている。
若者の農家離れが進む中、このコラボでは、虹コンの若いメンバーが農業体験を通じ、動画配信サービスやSNSから「食と農」のすばらしさを啓発する意欲的な取り組みを進めている。
企業において、ダイバーシティー&インクルージョンやSDGsの概念が広がる中、虹コンは「食と農」という社会貢献と、自らのアイドル活動の融合を違和感なく進めている。インタビューの後編では、福嶋さんに「虹のコンキスタドール」をどのようなコンセプトでプロデュースし、マネジメントしてきたかを聞く。
――でんぱ組.incを日本武道館でライブが開催できるまでの存在に押し上げ、次に虹コンをプロデュースするわけですが、こちらの経緯は?
私が、ネットでいろいろやっている時代からイラストSNS「pixiv」を運営するピクシブさんとはつながりもあり、時期をみて「アイドルをやろう」と話していました。当初、ピクシブさんに投資いただき、協業していました。そのとき私は、「でんぱ組.inc」ではできなかったことをやりたいなと思っていました。
――「でんぱ組.incではできなかったこと」とは具体的にどんなことですか?
「でんぱ組.inc」は他のアイドルがやっていないことをしてきたので、常に初めての取り組みを求められるつらさもありました。誰かのまねができないとか、いわゆる芸能っぽいことができないとか、いつも何らかのひねりを入れないといけないつらさです。アイドルの王道的なことをやったら、「でんぱ組.inc」でなくなってしまうという気負いも感じていたのです。
自分の中で、電波ソング、「でんぱ組.inc」っぽい曲をやらないといけないという思い込みもありました。いい意味でも悪い意味でも「でんぱ組.inc」はかなり完成されていましたし。
そうであれば、一からストーリーを作れる、まっさらな、初々しい14、5歳の子たちを育ててアイドルにしたらどうなるんだろうと思いました。
だから、「虹コン」では「でんぱ組.inc」とは異なるアイドルの王道を行くようなアプローチを試したかったんです。アイドルに歌ってほしい楽曲、ファンク、ロックテイストも取り入れた音楽にもチャレンジしたいと思っていました。
――やってみてどうでしたか。「でんぱ組.inc」と違う大変さはありましたか?
大変さの種類が違いましたね。何も分からない状態の子たちですから、子育てに近かったのかも(笑)。
「でんぱ組.inc」のメンバーは、それぞれの好き嫌い、良い悪いの基準、やりたいことや趣味趣向もはっきりしていました。
一方「虹コン」のメンバーは、まだ自分たちの好き嫌いもあやふやで、話が通じないところがありました。でも、13、4歳ですから当然といえば当然ですね。
――そんな子たちをアイドルにしていったんですね。
「かわいい」の見せ方は分かっていましたが、「かわいい」をどうやって「すてき」に見せるか、何が正解か、正直5年以上も分からなかったんです。でも、楽曲作りなどはストレスなく楽しんでいました。
そして、今振り返って思うのは、メンバーがものすごく成長したことです。女の子のマインドが一番変わる15歳〜20歳という時期とそのグラデーション、1学年1学年こんなにも違うことを学びました。
女の子の成長、その世代のキラキラ感は、何ものにも代え難いんですね。「でんぱ組.inc」では「青春を何回もやり直す」ということを示してきたのに対し、「虹コン」のコンセプトは今が青春そのもの、今のきらめき感を見てという感じでした。
私自身もファンの皆さんと一緒に追いかけられたのは大きな財産でした。この7年間の彼女たちの成長が、4月16日、17日の日本武道館で見ていただきたいテーマです。
――「でんぱ組.inc」の名前の由来はDEMPAビルからとのことですが「虹のコンキスタドール」の名前の由来は?
当時のプロダクション、ピクシブが二次元のコンテンツを扱っていたこと、二次元と三次元に虹を架ける、二次と虹をかけてですね。あとはダイバーシティーも意識しての虹ですね。「コンキスタドール」はスペイン語で「征服者」を意味し、二次元も三次元も征服していこうとの思いを込めました。
――思いを込めた命名から7年。困難なこともあったのでは?
そうですね、私自身も若い子たちのマネジメントは初めてでしたから。親御さんとのやりとりや、本人たちに責任感を持たせ、学業と仕事(アイドル)を両立させることなど……。若い子特有の気分のムラとか、やっぱり大人とは全然違いました。
どの芸能事務所さん、マネジャーも直面していた壁で、ノウハウも蓄積されていたのでしょうが、私には経験がなかった分やはり大変でした。
――試行錯誤しながらだと思うのですが、福嶋さんはメンバーに対してどのように接していましたか?
先生でもないし、親でもない、ましてや友達でもない。あくまで仕事のパートナーとして接していました。
どんな年齢のメンバーも子ども扱いしないよう厳しく接していました。遅刻するなど責任感のない行動は厳しく叱っていました。
例えるなら、新入社員を上司が指導するようなものです。みんな初めてやる子ばかりなので、歌詞を覚えていない、ダンスもできないことは、しょっちゅうでした。そのときに「これは良い」「これは悪い」ときちんと教えていましたね。
――「でんぱ組.inc」のときとはマネジメントスタイルを変えるわけですね。
「仕事はプロ意識を持て」と言っても、そもそも「プロ意識」が何かを教えないといけない。難しかったですね。
昨日まで中学生で、部活をしていた子が、急に「プロ意識を持って」と言われても困りますよね。お金を稼いでいる感覚はもちろんないし。一から教えないといけないのは本当に大変で、正直、最初の頃のパフォーマンスは……(笑)。そこから表現者としての自覚を徐々に植え付けながらステージに立ってもらいました。
――でも、そんな子たちが成長していくんですね。
みんな志は持っているから、教えていくと成長するんですね。もう、この子は伸びないかもって諦めかけた子が、突然「あれっ、こんなに成長したんだ?」というケースもありました。
そこで分かったのは、「プロ意識」を持つ過程で、すぐに持てる子、時間がかかる子、みんなスピードが違うんだなと思いました。逆に言えば人の成長の仕方には違いはありますが、いつかその到達点に達すると思ったのです。これは虹コンをやっていて本当に勉強になりました。
――成長という点で印象深かったメンバーはいますか?
大和明桜(やまと・あお)ちゃんですね。始めの頃は責任感もないし、フワフワして、キョロキョロするし、ライブ中に楽しすぎて笑いだすし、どう指導したらいいか悩んでいましたね。
でも、「本当はスーパーアイドルになりたい」「本当はもっとトークしたい」って自分の言葉で話せるようになってきたんですね。その頃から、1人でトークをさせて、レポートを出させ、一緒にライブに行って感想を聞くことを繰り返しやりました。
「今日のライブはどう思った?」「あなたならどうしたい?」と問いかけもしました。何度も失敗してきましたが、振り返れば別人になっていましたね(笑)。
最近では責任感をもってライブのMCを担当したり、毎週Web番組「@JAM応援宣言!”@JAM THE WORLD”」の司会に起用したりしました。成長の幅が大きかったのが印象深いですね。
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