4年連続の赤字だったアイドルフェス 「@JAM」の仕掛け人は、いかにして黒字化させたのか?アイドルプロデューサーの「敗北、信念、復活、成功」【後編】(1/2 ページ)

» 2021年09月23日 15時54分 公開
[柳澤昭浩ITmedia]
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 コロナ禍によってライブ・エンタテインメント市場は壊滅的な影響を受け続けている。ぴあ総研は「2020年の音楽フェス市場は98%が消失した」との調査結果を発表した。数多くの音楽フェスが中止や開催規模を縮小したため、20年の音楽ポップスフェスの市場規模は、前年比97.9%減の6.9億円へと激減。動員数も、9.3万人(前年比96.8%減)と大きく落ち込んでいる。

音楽ポップスフェスの市場規模と動員数の推移(ぴあ総研のWebサイトより)

 そんな中、奮闘しているのがポップカルチャーフェス「@JAM」の総合プロデューサーを務める橋元恵一さんだ。橋元さんは8月27、28、29日の3日間、横浜アリーナで開催したアイドルフェス「@JAM EXPO 2020-2021」の総合プロデューサーを務めた。そんな@JAM EXPOも当初は赤字続きだったという。

 インタビューの後編では、4年連続して赤字だった@JAM EXPOをいかにして黒字化させたのか。そして、コロナ禍のアイドルフェスへの影響、ライブ・エンタテイメントビジネスの今後を聞いた。

橋元 恵一(はしもと・けいいち) ソニー・ミュージックエンタテインメント/ライブエグザム。1967年東京生まれ。日本大学法学部卒業後、Tooを経て、1993年ソニー・ミュージックコミュニケーションズに入社。アーティストの販促サポートやビジュアルプロデュースを担当し、絢香、ケツメイシ、山崎まさよし、RAG FAIRなどのクリエイティブを担当。2010年、ソニー・ミュージックエンタテインメントへ異動し、ポップカルチャー音楽イベント『@JAM』を立ち上げる。現在では国内外にて年間30本以上のシリーズイベントの総合プロデューサーを担当。また、TOWER RECORDSとの共同レーベル『MUSIC@NOTE』のプロデュースや、「Gran☆Ciel(グラン・シエル)」などアイドルグループのプロデュースワークも精力的に行っている。『アットジャム〜日本一のアイドルイベントをゼロから育てた10年間』(ユサブル)を上梓(撮影:KAZAN YAMAMOTO)

イベントとしては成功 興行としては失敗

――この10年間で「@JAM」は、日本有数のアイドルフェスになりました。最も大変だった時期はいつですか?

 2017年でしょうか。13年までは2000人規模の会場でのイベントだったので、それほど利益も大きくない興行を続けていました。14年に初めてフェスという形態のイベントに取り組みました。事業規模は億単位になっていましたから、4年目は勝負の年でした。フェスとしては盛り上がりを見せた一方、興行としては失敗し、4年連続の赤字になってしまいました。

――イベントとして成功したのに興行として失敗。何が原因だったと考えますか?

 やりたいことを詰め込み、ユーザーには評価を得た一方で、やりたいことには無駄も多かったのだと反省しました。

 私は、もともと数字重視の人間ではなく、ビジネス的に勝ちに行ったかというと、結果そうではなかったのだと思います。思いとか勢いといったものを信条としてきた人間で、良いものを作れば評価されると思っていました。4年連続の失敗によって根拠に基づかない思いだけではだめだということを理解しました。いま思い起こすと冷静な分析に基づいて取り組んでいなかったのだと思います。

――その状況で4年連続の赤字になるわけですね。

 例えば、1億円かけて準備に準備を重ねてきても、集客できずに5000万円分しか収入が得られなければ、会社が5000万円を支払って終わるというビジネスです。私がそれまでやってきた仕事は、自分がやった仕事には多かれ少なかれ対価をもらえるビジネスだったので、そもそもの考え方自体が違います。

 当時の社長は、新しい提案、新しいフェスなど、そういうもの自体はすぐに勝てるものではく、事業として成功するかしないかは、3年をめどに評価する認識だったと思います。もちろん3年間赤字を出し続ければ怒られはするものの、比較的我慢してもらっていました。ただ、4年目の赤字が出たときに「もうないな」と自分も思いましたし、社長もそう言うと思ったのが17年です。

――ところがそうじゃなかった?

 そうなんです。毎年アベレージで1000万円、4年間で約4000万円の赤字でした。初めからやりたいことを詰め込むのではなく、やりたいことを1000万円削ればイーブンになり、事業規模を見直せば、ちゃんと利益も出せる可能性もあるだろうと言われました。

 40代半ばになっていうのも変なのですが、初めてフェスを数字ベースで捉え始めました。17年までは、思いさえあれば通じると思っていたのが、ロジカルに数字にこだわって作ったのが18年です。

橋元さんがプロデュースし、2018年8月にデビューしたアイドルグループ「Gran☆Ciel(グラン・シエル)」。21年3月、新体制になるタイミングでJewel☆CielからGran☆Cielへ改名。シングル曲「Message!」は、オリコンデイリーチャート1位を獲得した(3Hグループのリリースより)

1000万円の経費カット

――1000万円の経費カット。具体的には、どのように見直したのですか?

 全体の経費を削るために、いわゆる物理的な経費削減と、リスクヘッジの二方向で考えました。

 物理的な経費の節減としては、土曜日と日曜日がフェスの本番日だったとき、金曜日に別のアーティストのコンサートと共有できるものを持ち合いました。例えば、0からステージを作ると経費が多く掛かりますね。でもステージの土台や照明などの共有を打診することによって、ある程度の経費を削減できます。これは、同じ会社内で制作していたために融通が利いた部分もありました。

 他にも、それまで私の思いだけでやっていたステージの数を減らすなど、可能なところはコストカットしました。

――リスクヘッジについてはどんな工夫をしましたか?

 例えば自社のみでフェスをやり1000万円の赤字が出たとすると、その1000万円全額を負担しなくてはいけませんね。そこにパートナーを加えることで、リスクを軽減させることができます。もちろん儲(もう)かった場合のリターンも減りますけどね。

 いろいろと検討して未来を見据えた結果、日本テレビ、キョードー東京、レコチョクという頼もしい三社を加えて委員会方式に変えました。

 特に日本テレビさんが入ったことによってプロモーション効果も大きくなり、メディアだからこそ実現できる企画もできましたし、キャスティングもサポートしてくれました。結果、フェスとしてのブランディングも上がり、全体として非常にプラスになった形です。

――5年目にして大改革に取り組んだのですね。では14年からの3年間は毎年赤字で、その間には全く見直しはしなかったんですか?

 もちろん見直しはしていましたが、大々的にメスを入れることはありませんでした。このフェスの目標として、フジテレビさんがやっているTOKYO IDOL FESTIVALがあって、いまだに規模も内容もかないません。TOKYO IDOL FESTIVALは格上のフェスではあるものの、同じ夏に開催し、肩を並べるフェスと見られていた@JAMなので、規模縮小はできないと感じていました。

 TOKYO IDOL FESTIVALでやっていることは、最低限@JAMでもやらなくてはと。信念とか思いとか、そういうものを優先していたんだろうと思います。

――18年から見直して取り組んだ結果は?

 当然のことながら物理的な経費を削り、社長からも指摘を受けていた経費を削り、これまでと同様の動員数であれば、その時点で黒字が出ることは確定していました。かつ、日本テレビさんなどのパートナーが入ってくれたおかげでプロモーション効果も大きくなり、集客も増え、リスクも抑え、フェスとしての利益は出た形になります。ただその分、利益も分配しますから、大きな利益にはなっていないものの、初めて赤字にはならなかったということです。

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