コロナ禍によってライブ・エンタテインメント市場は壊滅的な影響を受け続けている。ぴあ総研は「2020年の音楽フェス市場は98%が消失した」との調査結果を発表した。数多くの音楽フェスが中止や開催規模を縮小したため、20年の音楽ポップスフェスの市場規模は、前年比97.9%減の6.9億円へと激減。動員数も、9.3万人(前年比96.8%減)と大きく落ち込んでいる。
そんな中、奮闘しているのがポップカルチャーフェス「@JAM」の総合プロデューサーを務める橋元恵一さんだ。橋元さんはソニーミュージックグループに在籍し、絢香、ケツメイシ、山崎まさよしなどのビジュアルプロデュースを務めた経験がある。
国内を代表する多くのアーティストに関わり、波に乗っていた橋元さんは42歳の時に異動を命じられ、ひょんなことからアイドル業界に飛び込むことになった。その後10年間、橋元さんはアイドルフェスやグループのプロデュースを一から進め、今や業界で有数のポップカルチャーフェス「@JAM」の総合プロデューサーを務めている。
インタビューの中編では、500人の組織から、わずか数人の部署に異動後、いかにして@JAMを作り上げてきたかを聞いた。
――40歳を超えてから突然、畑違いの部門に異動を命じられました。戸惑う部分も多々あったでしょうが、まず何から始めたのですか?
実は、当時の事業部にはイベントを作った経験がある者、ない者が混在していたものの、経験豊富ないわゆる「その道のプロ」がいるわけではありませんでした。そのため、手探りをしながら会議をしていた記憶があります。ロックイベントの経験者がいれば、「じゃあ、君はロックイベントをやってよ」となり、私の場合は「橋元君は、そもそも経験がないからヲタクカルチャーのイベントを担当してよ」といわれて、今の活動が始まったのです。
――橋元さんはそれまで絢香やケツメイシなど王道のJ-POPアーティストを担当してきました。異動を命じられた直後は、どう思いましたか?
それまで自分がやってきたことや、今までの仕事上のステータスが通用しないのだとあらためて思いました。そういうものは捨ててきたと思っていましたが……。全く違う部署に異動になり、これまでの自分が評価されない場所で、ちょっと落ちこぼれてしまった感じもありました。
異動前、所属していたソニー・ミュージックコミュニケーションズでは500人ほどの従業員がいて、自身の組織上の部下は100人ほどいました。実は当時、最年少で係長、課長、部長などに昇進しておりまして、周りからも“次期役員候補”と言われていたこともあり、自分では勝手に社長になりたいと思っていました(笑)。それが突然、数人の部署に異動が命じられて、仕事が何も分からない……。「じゃあヲタクイベントをよろしく」と言われた時は、どうして良いか分からなかったですね。
――40歳を過ぎてから未知の世界で勝負しなければならないのはつらいですね。
本当に未知の世界でした。加えて、私自身の偏見もあったかもしれません。アニソン、アイドル、ボカロでは、いわゆる「ヲタク」とされるおじさんたちが集まって盛り上がるというイメージを持っていました。そんな思い込みから正直、抵抗感がありましたね。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング