そんな修さんにとっての大きな課題は、画伯の絵を後世に継承していくために、絵をどう保存し管理していくかだ。作品の保存がいかに難題であるかを表すエピソードがある。19年に東京都のアトリエ兼自宅にあった膨大な量の作品を、神奈川県の新居に移動した。
「作品の移動自体も2月から5月までの3カ月間かかりました。48トン分の荷物でしたから、一般的な個人が保有する物量ではないのです。保管に適切な場所を探すのにも2年間かかりましたから」
そしてようやく作品の移動が完了し、作品を移したあとのアトリエを解体したときのことだ。
解体業者がたまたま建物の大家と話すと、そこが有名な絵描きの家だと知ることになった。そしてその業者が、机の引き出しに張り付いていた1枚の絵を発見したのだという。それは今まで見つかっていなかった画伯の貴重な作品で、価値のあるものだった。ただ、もし業者が有名な絵描きの絵だと知らなかったとしたら、ゴミだと思って捨ててしまっていたことだろう。
絵画を実際に保存し管理し続けるとなると、現実的な問題が山積する。現在、修さんは神奈川と東京に保管場所を確保しているものの、保管するだけで毎月数十万円の家賃が出費として出ていく状況だ。
「保存方法にも注意を払わなければなりません。湿度は50%くらい、温度は20度ぐらいで保存します。そうでないと絵が割れてきてしまいますし、カビも生えるのです。だからエアコンは一年中つけっぱなしです」
金子画伯の死後、50年間は修さんに著作権は残る。ただ、それ以降、作品そのものを、いかにして伝えていく考えなのかを聞くと、はっきりとした答えはなかった。
先述したように美術作品を後世に残していくには作品の保存や販売の体制など、ビジネス的な課題が多くある。それでも修さんは「先生の作品をこの先も伝えていきたい」と前を向く。
偉大な作家の存在も、絵の価値も、適切な形で受け継ぐには仕組み作りが必要で、それが修さんが今後、果たすべき役割なのだ。
10年ほど毎年続けてきたBunkamura Galleryでの展覧会が、5月11日まで開催されている。同ギャラリーが入る東急百貨店本店が来春以降リニューアルのために解体されるため、それに伴い隣接のBunkamuraも全館が数年間は休館となるため、今回が最後の展示になるのだと修さんはいう。
手探りの中、修さんは「金子國義の息子」という仕事のその先へ、歩みを続けていく。
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