伝説のヘヴィメタルバンド「LOUDNESS」を支えた事務所社長 米国進出の舞台裏を聞く「世界への扉」を開いた(1/5 ページ)

» 2022年05月21日 07時41分 公開
[柳澤昭浩ITmedia]
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 コロナ禍で大打撃を受けただけでなく、根本的なビジネスモデルの転換を余儀なくされているのがライブ・エンタテインメント業界だ。ぴあ総研によれば、2020年の同市場は、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、前年比82.4%減の1106億円と試算された。加えて、コロナ前の水準に回復するのは、最短で23年とも発表している。

ライブエンタメ市場将来予測(ぴあ総研のWebサイトより)

 デビューから41周年を迎えた日本のヘヴィメタルバンド「LOUDNESS(ラウドネス)」もまた、新型コロナウイルス感染拡大のあおりを受け、20年に予定していた40周年記念ツアーを延期することになった。1年遅れた今年、全国5カ所(名古屋・大阪・広島・東京・札幌)でツアーが始まっている。アフターコロナには数多くの海外公演も開く予定だ。

 ラウドネスは、競争原理の激しい音楽シーンのはやりすたりの中で40年以上、世界のヘヴィメタルアーティストと肩を並べ、活躍を続けている。その存在はX JAPAN、L'Arc-en-Ciel(ラルクアンシエル)、B'z(ビーズ)、黒夢など日本を代表するロックバンドにも影響を与えた。

ヘヴィメタルバンド「LOUDNESS(ラウドネス)」(カタナミュージック提供)

 それだけではない。米『ビルボード誌』のチャートにランクインした日本人(バンド)は坂本九やイエロー・マジック・オーケストラ (YMO)をはじめ、最近ではBABYMETALなど限られたアーティストのみだ。そんな中で、ラウドネスがその偉業を果たしたことはあまり知られていない。1985年に「THUNDER IN THE EAST」が同チャートで74位を記録し、連続19週間に渡りチャートインした。

ラウドネスのマネジメント会社トップにインタビュー

 また、米国を代表するハードロックバンド「モトリー・クルー」の前座として、日本人アーティストで初めて、「マディソン・スクエア・ガーデン」のステージに立つ快挙も成し遂げている。アルバム「LIGHTNING STRIKES(ライトニング・ストライクス)」も、ビルボードで64位を記録した。

 40周年の集大成となる通算29枚目ダブル・アルバム「SUNBURST〜我武者羅〜」は、オリコンアルバムデイリーチャート1位を記録している。

 ラウドネスの現マネジメント会社であり、海外展開を視野に入れて2014年に設立されたカタナミュージック(東京都新宿区)社長の隅田和男さんに、ラウドネスをいかにしてマネジメントしてきたか、米国進出の経緯などについて聞く。

隅田和男(すみだ かずお) カタナミュージック社長。音楽専門学校在籍中からバンドローディーを務め、ツアーマネージャー、レコード会社ディレクターを経て、現在はデビュー歴40年を超える世界的ヘヴィメタルバンド「LOUDNESS(ラウドネス)」のマネジメント会社カタナミュージック社長。1967年生まれ、大阪府出身

窓のないホテルに宿泊 全国を回る

――ラウドネスのマネジメント会社社長の仕事について教えてもらえますか。

 ラウドネスをマネジメントするカタナミュージックを立ち上げて9年になります。ラウドネスには、1989年から(ライブやコンサートなどで、アーティストが使用する楽器や機材の設置や調整、メンテナンスをする)ローディーとして関わって、97年ころまで一緒に仕事をしていました。

 その後、一度マネジメントからは離れますが、2014年にマネジメントに戻りました。現在、従業員がいるわけではなく私一人のワンオペで、外部スタッフをその都度に雇い、信頼できる方々に外注しながら仕事をしています。

――5月から40周年ツアーに入っていますね。

 正確にいうと結成41年目なのですが、新型コロナウイルス感染拡大の影響によって、40周年ツアーがずれこんだ形です。昨年末にニューアルバムをリリースしたこともあって、40周年を掲げたままツアーに出ています。

――隅田さんがローディーという仕事に関わるようになった経緯は?

 大阪府の高校を卒業し、音楽系の専門学校でPA(パブリック・アドレスの略。ライブで扱う音響機器)の勉強をしていました。

 そのうち、コンサート警備のバイトに行くようになり、たまたまアンセム(1980年初頭より現在も活動するヘヴィメタルバンド)のレコーディングスタッフを担当することになりました。そのままツアーマネージャー的な仕事をしながらローディーをやっていくことになります。20歳くらいの時ですね。

――ツアーマネージングとはどんな仕事なんですか?

 当時、アンセムにはマネージャーはいたものの、運手免許を持っていませんでした。そこで運転免許を持つ私が機材車を運転し、全国を回っていました。

 マネージャーがライブ会場をブッキングし、私が現場の仕事をこなしていました。当時は事務所スタッフ2人とPAさん計3人、メンバー4人でツアーを回っていました。ライブ前のセッティング、ライブ後の物販、機材の積み込み、ライブ会場での精算をして、次の街に行く。その繰り返しです。

――本当に少人数でやっていたんですね

 今でもライブハウスを回っているバンドは、そういう感じだと思いますよ。普通免許で運転できる車両に乗れるのはせいぜい7〜8人です。メンバーやスタッフと機材を移動させなければいけないので、余裕があるバンドは、ハイエース2台にして、メンバー車、機材車という感じですね。

 当時のヘヴィメタルバンドはアンプなど機材の量も多く、ロケバスみたいなコースターを使うバンドも少なくありませんでした。

――ツアーに関わることは何でもやっていた感じですね。

 大変だったのは、宿泊場所探しですね。当時は、携帯もネットもないし、毎年全国のビジネスホテルガイド新版を買って、安いところを探していました。

 当時は大阪に、メタルバンドも定宿にしていた“ホテル関西”っていう安いホテルがあって、追加ベッドを入れるとトリプルルームにもできたんですけど、窓がなかったりとか(笑)。

ダブル・アルバム「SUNBURST〜我武者羅〜」は、オリコンアルバムデイリーチャート1位を記録
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