――L'Arc-en-Ciel、B'z、黒夢など多くの有名アーティストがラウドネスをリスペクトしています。隅田さんのラウドネスの第一印象はどんなものでしたか?
ライブを観(み)にいくようになったのは高校生の時です。いろいろなバンドを観てきましたが、演奏力を含め圧倒的に何かが違っていましたね。
ラウドネスのメンバーに会ったのは、80年代アンセムが米ロサンゼルスで公演した時です。ちょうどラウドネスもアルバム制作でロサンゼルスにいて、偶然同じホテルに宿泊していました。
ラウドネスのギタリスト、高崎晃さんの部屋に行く機会があり、彼のプレーを目前にするのですが、これまで観たり、聴いたりしてきたギターではなく、もう別格という感じでした。
――その出会いの後、ラウドネスのマネジメントに関わるようになったのですか?
アンセムでは日本ツアーを複数回り、アルバムも2枚分ほど担当しました。その後、別の世界も見てみたくなり、ジャズやフュージョンに関わる仕事もしました。ですが、やっぱりメタルが好きだと気付き、「やはりメタルを極めるならラウドネスだな」と思っていたところ、知り合いからの紹介もあってラウドネスに関わることになります。
――ラウドネスにはベースのローディーとして関わったそうですが、自身も楽器をやられていたんですか?
ギターは少しやっていましたが、文化祭用に練習したくらいでしたね(笑)。
――実際に、ラウドネスに関わることは刺激的でしたか?
それまでの仕事とは全く規模が違い、いろいろと勉強させもらいましたね。今は日本でも普通になったステージ上の演出機材ムービングトラスやチェーンモーターなどは、ラウドネスが米国で本場のエンタメの舞台で知り、日本に持ち込んだのが最初だそうです。
――米国のステージを日本にもってくるとは画期的でしたね。
米国のステージを観て、そのすごさに触れ学んだスタッフが、今もラウドネスのスタッフにもいます。
当時、米国のツアーには、テレビクルーも同行していて、カメラを回していたんだそうです。これらの収録テープは、なくなったと長年聞かされていました。
しかし、ダメもとで当時を知る方に探してもらったら、テープが出てきたのです。今から5年前に「THUNDER IN THE EAST」というアルバムの30周年記念盤を出したのですが、当時の様子をドキュメントとして入れました。米国でのラウドネスへの熱狂ぶりがよく分かります。
――いま振り返ってラウドネスの41年間には、いくつかのターニングポイントがあったと思うのですが、どのあたりだったと思いますか?
1つ目は、浅草国際劇場のデビューライブですね。これはファンの間では「ラウドネス衝撃のデビューライブ」として知られていて、音のデカさも演奏力も圧巻だったそうです。3000人のファンが集まりました。今も現役で活躍している多くのミュージシャンや評論家、そして現在のラウドネスの舞台監督も、もみくちゃにされながら最前列で観ていたライブです。
2つ目は、初めての米国西海岸ツアーと欧州ツアーでしょうか。後者は、ライブドキュメント作「ユーロバウンズ」として記録に残っています。欧州の街から街へと連続して回ったものですが、映像からも現地での熱狂ぶりが伝わります。
最後は「THUNDER IN THE EAST」を携えての米国進出です。これは、後に知ることになるのですが、いくつもの面白いエピソードがあります。
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