多くのドライバーは運転免許を取得するときに、自動車教習所に通う。学科講習と実技講習を受けて卒業試験を経て、運転免許試験場で学科試験を受けて合格することでクルマを運転する資格を獲得している。それ自体は別段、不思議なことでも問題がある行為でもない。
しかし運転免許を取得した途端、ほとんどのドライバーは公道での運転操作に慣れることだけ、クルマの便利さを享受するだけで過ごしていってしまう。教習所での知識からアップデートしていないだけでなく、さらに自己流が加わることで、徐々に運転操作は乱れてしまう。
「自分にはコレが合っている」「この方が楽」という判断から、運転姿勢や操作方法をアレンジして、自己流の運転へと崩れていく。毎日のように同じルートを走っていると、交通に対する緊張感も薄れ、どんどんと法令順守の気持ちも緩み油断することも多くなりやすい。
そうしたドライバーに共通するのは、決して運転は下手ではない、ということだ。それゆえ、自己流の崩れた運転でも破綻していないのであり、彼らがキチンとした運転操作を学んで実践すれば、見違えるほど上手な運転となり快適で安全性も高まるに違いない。
しかしそれらのドライバーが自分の運転を見直すことはほとんどない。時間とお金を掛けてまで、運転をより上達させようとする人はサーキットでドライビングレッスンに参加するヘビーなクルマ好きくらいのものだ。大抵のドライバーは、自分の運転は見直す必要はない(少なくともお金と時間をかけるほど)と思っているのである。
筆者は有料も無料も含めて、さまざまな運転講習やドライビングレッスンで無数のドライバーを見てきたが、9割のドライバーはそうした傾向の持ち主だ。運転免許を取得したという権利意識も、そんな傾向を助長している。高いお金を払って運転を教えてもらい免許を取得したという感覚が、自分の運転を正当なものだ、これで十分という甘い考えにたどり着かせてしまうのではないだろうか。
運転免許は権利ではなく、運転を許された資格であり自分の能力が低下すれば資格の剥奪(はくだつ)もある、という意識に変えていかなければ、これからの高齢化社会を安全に過ごしていくことはできない。ドライバーは新しい交通ルールや法規を積極的に知るよう努力することや、自分勝手に解釈を変えてしまうことがないように務めなければならないのである。
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