しかし、夏に肌を真っ黒に焼くのは紫外線の健康被害を受けるので良くないという考え方が90年頃から世に広まってきた。
「美白の女王」、鈴木その子がTV番組に出始めたのがこの頃だ。
国内の海水浴客は、85年の約3790万人をピークに減り始めた。コロナ前の2019年には約630万人と、6分の1ほどに縮小した。20年、21年はコロナ禍で、海水浴場すら開設されなかった。プールも、近年は日焼けしないナイトプールが人気になっていたくらいで、夏のメインのレジャーではなくなってきている。水着にとっては逆風である。
バブル期は、海水浴に出かける場所も、国内よりもサイパン、グアム、ハワイなどの海外リゾートにシフトしていった。しかし、バブルが弾けると共に海外リゾートブームも終息。少子高齢化の影響も徐々に出始めて、水着のみならずアパレル全般の需要も減退していった。海外からの安価な輸入品に押された面もある。
そうした中で、各繊維メーカーは、水着のキャンペーンガールを止める方向で動いた。02〜03年にかけて、カネボウ、帝人、東洋紡が相次いで、募集を打ち切った。なお、05年にカネボウは創業以来の主力だった繊維から撤退、化粧品部門は06年に花王の傘下に入った。
今年、旭化成もキャンペーンガールを打ち切ったことで、キャンペーンガールを続けている繊維メーカーは、ユニチカ、東レくらいになった。両社のキャンペーンガールの役割は、企業と企業の商品をPRすることだが、その内容が従来と異なってきている。
ユニチカ・広報によれば、「ジェンダーレスの考え方に基づいて、名称を現在はユニチカスイムウェアキャンペーンモデルから、ユニチカアンバサダーに変更している」とのこと。00〜21年はユニチカマスコットガールと名乗っていた。
また、「アンバサダーは衣料品に限らず、弊社製品のPRをしていく」(ユニチカ・広報)とのことだ。ユニチカは多角化して、衣料品だけでなく不織布、包装資材などさまざまな製品を製造しており、その実態に合ったアンバサダーの活動を行っている。
東レも、かつて東レ水着キャンペーンガールと名乗っていたのを、05年から東レキャンペーンガールに名称変更している。東レも多角化が進んでいて、水着素材だけでなく幅広くアパレル分野に進出している。
東レ・広報によれば「キャンペーンガールは、各種アパレルの展示会に出演したり、従来から行ってきた一日署長のような地域交流イベントに参加したり、社内イベントや東レが特別協賛する東レパンパシフィックオープンテニスにゲストで出演したりと、活動の範囲が広がっている」とのこと。
コロナ禍ではリアルな展示会は開けなかったが、バーチャル展示会にキャンペーンガールが出演して、画像を通じて商品のアピールを行った。もう水着のイメージはなくなってきているが、企業と商品のPRを行う活動は変わらないという。
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