16億円もかけたのに、なぜ「国葬」がチープに感じたのか 「低賃金」ならではの理由スピン経済の歩き方(5/7 ページ)

» 2022年10月04日 10時40分 公開
[窪田順生ITmedia]

参列者にも「平等」に

 英国の国葬は、英国国教会の宗教儀式なので、参列客は讃美歌を歌って祈りを捧げればそれで終わる。しかし、日本の国葬は、戦争に敗れたことで国家神道などの宗教色をすべて排除したので、参列客が順番に祭壇に花束をあげていくというスタイルだ。

 これも何人かが代表で花を捧げて、みんなで黙祷をして終了ということにすれば、英国のように1時間で終わるが、日本は異様に「格差」を恐れるので、どれだけ時間がかかろうともすべての人に花を捧げさせる。

 「安倍さんに最後のお別れをしたかったのに、なんであの人は大丈夫でオレはできないのだ、差別だ!」なんてクレームが参列客からくることを、霞ヶ関の官僚は一番恐れる。だから、4時間かけても全員にお別れをさせるしかない。

 小学校の卒業式で、どれだけ時間をかけても卒業証書授与を全員にやらせるのと一緒だ。これを各クラスで代表者一人にしたら、間違いなくモンスターペアレントが「ウチの子の一生に一度の晴れ舞台をどうしてくれる」と職員室に怒鳴り込んでくる。

 国葬も同じで、英国よりも長時間・大人数に肥大化したのは、英国よりも故人を悼(いた)む気持ちが強いからではなく、参列客の機嫌を損ねたくない、という官僚の「保身」が強いからなのだ。なぜそこまで参列客に気を使うのかというと、官僚にとって頭のあがらない自民党の関係者が多くいるからだ。

 もしそこで粗相があって自民党や政府経由でクレームがあれば、後の官僚人生に大きなマイナスだ。「忖度」で公文書を改ざんするくらいなので、政府の顔色をうかがって、呼ぶ必要もない人を多数招待して、「卒業式」のような全員参加型の長時間式典になるのも当然だ。「忖度」が国葬を異常に肥大化させてしまったのだ。

 そのように「安倍元首相の死を悼む」という本体の目的とかけ離れた、既得権益への配慮を行い、そこにコストと人的リソースを注げば当然、会場の設営や演出は安っぽくなってしまう。

 そして、実はこの「本来の目的よりも利権が優先されて正しい投資がされない」というのは、「安いニッポン」を引き起こしている「元凶」でもある。

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