「かっぱ寿司」は1979年の創業で、長らく業界のトップランナーとして走り続けてきました。しかし2000年代に入ると、「スシロー」「くら寿司」「はま寿司」などの競合が店舗を急速に増やすとともに斬新なメニューも開発し、厳しい追い上げを展開。かっぱ寿司の成長に行き詰まりが見えてきます。
このあたりから、「かっぱ寿司」の経営が迷走を始めました。その始まりは07年であり、この年こそ今業界混乱の渦中にある「かっぱ寿司」「はま寿司」「スシロー」の3社が最接近し、その後の波乱の芽が生まれたともいえるのです。
他社の追い上げに押され始めた「かっぱ寿司」は、07年3月に「はま寿司」を運営する総合外食産業のゼンショーとの資本提携を発表します。
ゼンショーは牛丼チェーン「すき家」はじめ、ファミレス、パスタ、焼肉など、数多くの外食チェーンを経営していたことから、「かっぱ寿司」はこの提携によりゼンショーの多彩な運営ノウハウを自社の活性化につなげることが目的であったと考えられます。ゼンショーが「かっぱ寿司」の30%超の株を持つことで、同社はゼンショーの持ち分法子会社となりました。
しかし、この約半年後には、急転直下この提携は凍結されています。その裏には、ゼンショーが時同じくして、創業家の内紛で放出された「スシロー」の株も買い取り、同社の経営権を握ろうとしていたという事実が発覚したからです。
すなわち「はま寿司」を運営するゼンショーは、「はま寿司」を軸に「かっぱ寿司」「スシロー」を抱き込んで業界不動のトップに躍り出ようという野心が頭をもたげたと考えられるわけで、「かっぱ寿司」がゼンショーの野心に飲み込まれることを嫌って提携凍結、翌年解消という流れになった、というのが業界関係筋の常識のようです。
ゼンショーのノウハウを十分に得られなかった「かっぱ寿司」のジリ貧状態は続き、11年に「スシロー」に首位の座を明け渡すと、その後は「はま寿司」「くら寿司」にも抜かれてずるずると後退。提携のゴタゴタもあり、ネタの質向上やメニューの多角化に出遅れたがために、いつしか4大回転寿司チェーンでは「“安かろう不味かろう”のかっぱ寿司」が定着。「一人負け」状態に陥ってしまうわけなのです。このように、今回情報を盗んだ相手である「はま寿司=ゼンショー」との因縁は、実は根深いものがあるということが分かります。
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